龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

平昌オリンピックと日本人の意識

平昌オリンピックか。個人的には韓国で開催されるオリンピックなんか全然、興味ないんだけどな。楽しみにもしていないし、別に見たいとも思わない。まあ競技は少しぐらいは見るかも知れないけど、開会式など不愉快なだけだ。
こういうことを言うと日本の選手には気の毒かも知れないけど、メダルの数などどうでもよいし、0でもいいと思う。そんなことよりも妙なことで言い掛かりをつけられて逮捕されたり、拘束されることがないようにだけは徹底して選手やコーチは気を付けるべきだと思う。韓国はそういうことがあり得る国なのだから。現に産経新聞ソウル支局長であった加藤達也氏はセウォル号沈没事件の記事内容で長期間の出国禁止処分を受けたり、2014年の仁川アジア競技大会では水泳の冨田尚弥氏が韓国マスコミのカメラを盗んだとして逮捕されている。そういう時には日本の政治は外交問題になるのを避けようとするのがいつものことなので一旦、そのような状況に陥ってしまえば生贄のような過酷な境遇に甘んじなければならなくなる。冨田尚弥氏のように選手生命が絶たれて、一生名誉を回復できなくなる可能性も高い。なぜなら日本のマスコミは、どのような歴史的な経緯でそうなったのか、どのようなビジネススタイルに立脚したものか知らないが、日本の一般人が韓国からそのような理不尽極まりない扱いを受けている時に、韓国に同調的な記事を書いたり、必要以上に問題追及することを忌避しようとする傾向が強いからである。その代表が朝日新聞やその系列の放送局であるが。そういうマスコミの特徴は韓国への常識的な批判を一切封印した上で、ヘイトスピーチなどの差別の問題に日本人の意識をすり替えて全体的に統制しようとすることである。朝日新聞だけではないが日本のマスコミは延々とそのような社会操作を繰り返し実施し続けているものである。そしてその光景が戦後の日本の精神的な実相なのだ。韓国という国は政治的に何でも利用する。当然、日本のマスコミの論調も利用するものであるが、だからこそ朝日新聞社などは自社の存在感を誇示するために韓国との同調姿勢を改めないものであるが、非常にわかり難いことではあるが実は日本の政治構造も韓国の反日政治を政治利用しているのである。そういうことを日本の大衆は全然、理解できていない。なぜ理解できていないのかといえばほとんどの人には物事の真相を見極めるだけの目や精神を持ち得ていないし、またそういう姿勢を妨害しようとする情報に包まれて日常生活を送っているからである。しかし今こそ日本人には脱社会操作の自律的な精神性が必要とされているものである。平昌オリンピックのメダル数などどうでもよいから、一人でも多くの人に競技を見ながらでもそういうことを考えていただきたいと思う。