龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

サッカーから見る日韓関係の実相

いやあオリンピック予選、決勝のサッカー日韓戦は、久々に興奮した。正直に言って、試合が始まる前から勝てる気はしなかった。どうせまた負けるのであろうと思っていた。だから前半に1点入れられた時には、ほれ見たことかと予想通りの展開で、さして落胆もなかった。日本はほとんどシュートにまで結び付けることが出来ていなかったので、これでは勝てないと見ていた。後半開始早々に2点目を入れられた時には、絶望的な気分になってTVを消してやろうかとさえ考えたほどだ。消さないでよかった。あそこから3点も入れるとは、奇跡的である。
まあ試合の中身のことはどうでもよい。今回は劇的ではあったが、たまたま勝てて幸運であったということだ。それよりも私が言いたいことは、サッカーだけではないがスポーツ競技における日韓戦のあの異様なTV局による盛り上げ方、煽りはもういい加減に止めた方がよいのではないか。「宿命の対決」であるとか「絶対に負けられない戦い」などと何度、聞かされたことかわからない。もう聞き飽きたわ。韓国であろうとどこであろうと真剣勝負であることに変わりはないのだから、韓国戦を特別扱いする必要性など、少なくとも日本にとっては何もないはずだ。韓国がどれほどに執念を持って、日本を意識しようが、それは韓国の勝手である。韓国であろうとどこであろうと、日本は淡々、粛々とした姿勢を保っていればよいだけのことである。そもそも韓国の日本に対するあの異常な意識の在り様は、歴史的な経緯がどうであれ、集団的なコンプレックスを持っている下位の者が上位の者を意識して闘争心を燃やすところの心理構造によるものであって、日本は韓国に対して下位ではないし、コンプレックスを抱いているわけでもないのだから、何も無理をして韓国の感情、感覚に付き合う必要はないではないか。日本のマスコミのあの煽り方は、商業主義であるから仕方ない部分もあるとは言え、スポーツにおける政治利用であるとも見做されるものである。このようなマスコミの、一方の金儲けのための興業的扇動ともう一方における戦後秩序の枠内に国民意識を押し留めるための政治的情報操作が、実は今日における日韓関係の基調部分を彩っているのである。もちろんマスコミ単独の操作であるのではなく、それは政治と一体化した戦後の国民統治の流れが、長年の浸食作用によって自然と形成された鋳型のように日本人の精神構造を全体として統制しようとなす不断の働きかけによるものである。そして私は今回の日韓戦による予想外の(と言えば失礼かもしれないが)、劇的な勝利から直観的に感じたことではあるが、日本人はもうそろそろそのような政治とマスコミが協調して作り上げてきた意識状態から卒業しなければならない時期に差し掛かっているということではないのか。これは日本人だけではなく、韓国人に対しても言い得ることである。両国間の反日であるとか、嫌韓などの国民感情を度外視して、一人の日本人として冷静、客観的に評価すると、韓国人の能力はサッカーや野球などのスポーツだけでなく、音楽や演劇、映画などの文化的な面においても世界的にも非常に優れたレベルに至っている。元々潜在能力が高かったからなのか、今や韓国人の個的な優秀性は、否定したくとも否定しようのないほどに各分野で開花してきている。ところが韓国という国家単位で見れば、まるで駄目なのである。経済でも国民全体の生活レベルや安定性などから判断すれば、いつどうなってもおかしくはないような崖っぷちで常に自転車操業しているような有様である。ゆとりや余裕がまるで感じられない。総じて言えば、こういうことは全て韓国の政治が悪いからなのである。国民の卓越した能力や優秀性を、韓国の政治は国の土台として纏め上げ、時間をかけて構築していく地道な作業をこれまでまったくしてこなかったし、またそうしようとする風土が皆無であるからだ。全ては突貫作業的なやっつけ仕事で外面の見栄えをよくすることばかりに終始する政治手法ゆえに、外に見えざる内部留保というか蓄積による本物の国力が内実的には全く育まれていないということだと考えられる。そしてそのような風土の中で特化されている韓国特有の政治手法が、反日とロビイングなのであろう。反日については言うまでもないことだが、ロビイング活動についても一時はそれで成果を得られても、本物の実力がなければ永続的な繁栄は不可能だ。たとえば一時は、韓国車がヨーロッパで国家的な政治活動やロビイングによって大いに売れていたようだが、最終的にはやはりユーザーがコストパフォーマンスや信頼性などの評価によって選択するものである。国家的な宣伝工作とロビイングもよいかも知れないが、車そのものの性能と評価を引き上げることに国力を傾注しなければいずれ衰退してゆくことは当然なのである。またそこが今日においても埋めることのできない日本と韓国の歴然とした差なのであろう。韓国の政治は外見だけで、中身が伴っていないのである。だからこそ韓国人にとって韓国という母国は、いつまで経っても将来性のない国であり、特に富裕で優秀な人間にとっては母国を捨ててでもアメリカへの永住を志向させることになるのであろう。翻って我々日本人がどう考えるべきかと言えば、日本のマスコミの情報操作に惑わされることを意識的に拒否して(なぜなら言うまでもなく、マスコミの情報操作はマスコミの権益を高める以上の意義も意味もないからである)、韓国の反日政策であるとかロビイング活動などは好きにやらせておけばよいのである。そういう政治に依存している限り、中長期的に見れば韓国はいつまで経ってもまともな国に成り得ないことは明らかであり(だからこそ都合のよい時にだけ調子よく日本に通貨スワップを懇願せざるを得ない国家的な恥を晒す事態ともなるのだ)、日本は韓国とは一段階、二段階上のレベルから高みの見物をしていればよいのだ。そしてそれが日韓関係の実相だと私は思う。同様にサッカーの日韓戦も、マスコミの扇動である「宿命対決」などの宣伝は無視して、純粋なスポーツとして淡々と観戦していればよいのである。とはいっても現実的に淡々と見ることは、非常に難しいのであるが。