龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

橋下氏は自ら出馬せよ

11月22日の大阪ダブル選挙で、大阪都構想のリターンマッチか。今年の5月に行われた住民投票から僅か半年である。とはいえ、先の投票結果は明らかにとは言えないかも知れないが、不正である可能性が高い。それだけではなく、大阪維新の会だけでなく全ての政治関係者やメディアはタブーとして口には出さないが、その事実に気付いているはずである。問題の性質上、公言できないだけである。日本には、いや日本だけでなく全ての国でそうなのだろうが、政治や報道など国民が共有すべき真実は、言えることと決して言えないことの2区分で構成されている。本来であれば、民主主義の本道とすれば全ての真実を国民の目の前に明らかにして、公正に議論や批判、裁きの対象にすることが大前提である。しかし権力とは都合の悪いことは必ず隠そうとするものであるし、またメディアや所轄の役人などに協力させて真実を隠したり、ごまかしたりなどをいとも簡単に出来るものである。司法でさえタブーとされた領域に関しては、きわめて「政治的」な判断の判決しか出さないものである。それゆえに政治権力(日本で政治権力と言えばほぼ自民党のことであるが、民主党政権下であっても自民党体質というものは変わらない)は、メディアや役人に黙らせたり嘘をつかせて為される不正行為が常態化してくることとなる。常態化の理由は、政治権力の側に悪いことをしているという感覚が麻痺をして民主主義の良心というものがほとんど消滅してしまっていることにあると考えられる。これが正に日本という国の実態、真相なのである。そして言えない領域のタブーは近年の日本では確実に増えてきている、それは単に日本の政治権力の堕落、腐敗ということだけではなくて総体的な国力が低下してきていることの証左なのでもある。
それがわからない、見えない人々は、決して馬鹿にするつもりはないが、そういうことを受け入れるだけの意識レベルに至っていないのだ。その意識レベルとは必ずしも学歴とか頭の良し悪しに関係するものではないが、そうは言ってもやはり東大とか京大に合格する頭脳を持っている人間は、当然のことではあるが政治や社会全体の嘘を見抜く「意識」はともかく「能力」は有している。しかし日本のそのような知的レベルにある市民層のことごとくが、これまでの日本の統治構造に完全に取り込まれてしまっていて、彼らの意識レベルでは政治批判や権力批判と言えば、戦後日本のいわゆる右翼と左翼、保守と革新の対立の範疇から一歩たりともはみ出し得るものではないのである。安保法制に反対してデモに参加したりとか、賛成するといった日本の光景である。それはそれで民主主義の一部なのであろうが、しかしその対立図式の範疇そのものが実は、作られた民主主義の延長であって、本物の民主主義ではないということ、つまりは大枠のところでは洗脳されているに過ぎないという事実をはっきりと認識できる意識を持てている人間はほとんどいない。だから政治の単純な嘘とか、選挙における原始的な票の不正操作が現実に行われている疑惑ということに全く目が向かないし、意識の焦点が結ばれないのである。そしてこのような全体的な状態が一口で言えば、日本という国家の虚構性であり、緩やかに国民精神をモノ化へ導いていく戦後の歯車なのだ。どうしてそれがわからないのか。私は歯痒くてならない。日本の知性を代表するかの如く発言している作家や知識人なども例外ではない。右翼的な感性と左翼的な論理をプロレスのように闘わせているだけで、その永遠の堂々巡りが日本の民主主義なのである。そしてそのような人種もいざとなれば、ヤバい内容のタブーは政治やメディアと足並みを揃えて途端に押し黙ってしまうこととなる。日本という国の洗脳は非常に根が深いのだ。陰謀論者ですら親米とか反米などという二項対立的な世界観、思考回路から脱することができない。よって何が陰謀で何が陰謀でないかという判断が、単にその陰謀論者の思考や感覚の歪みを反映させているものでしかないと思えるような主張ばかりで辟易とさせられる。陰謀論者もまた日本の戦後の洗脳構造に深く組み込まれて、その領域から自由に羽ばたくことが出来ない籠の中の鳥である。
橋下市長なども弁護士だから一般人よりも頭はいいのであろうし、意識レベル的にも旧来の日本の政治風土や統治手法を否定するという先進性は持ってはいたが、やはりどこかで日本の何かが見えていなかったのだと思う。根本的なところで日本の何か良心のようなものを妄信的に過信してしまっていたのだろう。だから簡単に足をすくわれて失脚することとなる。今の橋下氏は恐くはそういうことが見えてきているので、このまま大人しく政界と決別という気持ちはないのであろうと思う。そうであれば、一時の撤退みたいな形で自らの引退発言と整合性を図るような無意味なことはなしにして、自らが市長選に出馬すればよいではないか。そうでないと自民党の柳本とかに負けてしまうぞ。これでまた負けてしまえば、大阪維新の会は踏んだり蹴ったりではないか。敗北を機会に党の存続が危ぶまれる事態に流れる可能性もある。半年前に引退すると言った手前、出馬するとは言いにくいであろうが、またメディアも批判するであろうが、そんなことは気にする必要はない。もうそういうことに大方の国民は慣れてしまっているし、その程度の嘘というか心変わりなど自民党の巨悪の不正に比べれば取るに足らない些事ではないか。それから付け加えれば、ダブル選挙での不正工作は恐くは予定されてはいないとは思うけれど(住民投票の意義など日本では無視されているのである)、一応は警戒すべきである。