龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

何が日本の問題なのか

それから関連して重要だと思われることは、いわゆる「少数意見」というものを日本の一般大衆は、無党派層であれ特定の政党の支持者であっても、排除しろとか無視しろなどと考えている人間は恐らくは皆無であろうということである。これは非常に重要な認識事項である。なぜなら少数意見を排除、無視しろという声が多数であるならば、日本の民主主義の健全性を保つために積極的に少数意見を保護する必要性が高いと言えるからである。一つの声、押し寄せる大波のようなマジョリティーに収斂する民主主義を放置していれば、そのマジョリティーはいつの間にか、気がついて見れば政治に利用されているに過ぎない全体主義に転じている危険性が高い。しかし果たしてその危険性が日本の今日的な問題なのかと冷徹に考察すればとてもそうだとは思えないものである。むしろ反対であろう。日本の大衆は馬鹿であろうと、普段はお笑い番組やバラエティーしか見ていないような政治意識の低い、権力とは無関係の人間であっても意識的に少数意見を尊重したり、尊重とまではいかなくとも、決して排斥しないように気を付けている志向性が高いように見受けられるものである。そういう意味では、日本人は文化レベルや教育程度が高いし、一定の成熟に達していると言えるものである。中国や韓国のように大衆意識が、その時々の政治の判断や感情で一気に反日のボルテージが高まったり、反対に一時的に表面上は収束して見せかけの宥和ムードが生じるような民意とは根本的に異なるものである。それでは日本の民主主義の質を考える上で、一体何が問題になっているかを考察するに、それは少数意見が少数派のマイノリティーとして保護されたり、取り扱われているのではなくて一部のマスコミによって少数意見が多数派であるかのように見せかけられたり、多数派に均衡する勢力であるかのように報道されることである。それは本質的には民意の操作であり、改竄である。そこにあるものは本当の全体的な国民の声ではなくて、マスコミの権力と利権である。マスコミの権力と利権が少数意見を許容、消化して日本の民主主義を少しでも進歩させようとする日本人の真面目さであるとか美徳といったものを殺してしまっているものである。よって結論すれば、日本の日本的な悪とはマスコミなのである。特に左翼マスコミであることは言うまでもないであろう。少数意見を少数意見として取り扱わずに新聞紙面や放送によって多数派や多数派と競り合っているかのように演出するようなことは、民主主義にゆがみをもたらして、その健全性を毀損するものでしかない。そのようなマスコミ操作が日常化しているから日本の大衆は政治全般に対しても無力感しか感じられないのである。日本の権力のヒエラルキーにおいてその頂点にはマスコミが位置しているように無意識の内に刷り込まれてしまって、何を言っても、何を訴えても、日本の世論を作り上げるご本尊はマスコミでしかないと自然と諦めの境地に至ってしまうものである。それが日本人の政治離れ、政治不信の主要因である。日本のマスコミは、日本の民意というものをまるで料理の素材のように自らの組織に都合の良いように調理したり、味付けすることしか考えていない。実勢、実態を正しく報道しようとするようなモチベーションは最早、皆無なのではなかろうか。特に左派報道機関は、自らが信奉するイデオロギーを正当化する民意の操作にばかり拘泥していて、見たり読んだりする者はそこから割り引いて解読する精神的、知的労力に疲れてしまうものである。新聞離れ、TV離れの主たる要因がそういうところにあることは明らかであろう。統計とかアンケートの結果というものも信用できない。TVで取材に答えている一般人が、本当に一般人なのかどうかも甚だ疑問である。むしろその放送局が欲している答えを提供している関係者であると見做すことが視聴者としての適切な心構えなのではなかろうか。そして日本の本当の悪徳は、このようなマスコミの逸脱や不正を日本の政治が根底から保持しているようにしか考えられないというところにある。愛知県のトリエンナーレの問題も同じであろう。反日的な運動を表現の自由の名のもとに肯定する意見は、正確な割合はわからないが、全体から見れば少数派であることは間違いないことであろう。大多数の国民感情とすれば、そのような反日運動に公金を投入して欲しくないと考えているはずである。しかし日本には在日の人々も一定数、住んでいる訳であるし共産党のように天皇制に反対している政党もあるのだから、民主主義的には少数意見も尊重されなければならないという理屈はわかる。それはそれである。しかし少数意見に過ぎないものがマスコミ権力によって、マジョリティーに均衡するものであるかのように言論空間が席巻されてしまうことは、本質的に民主主義の破壊であり、日本人的な善良さを冒涜するものでしかない。繰り返すが日本の悪徳はマスコミにある。日本の政治は腐敗はしているが、本当の悪の根源はその政治の腐敗をも維持、コントロールしているかのマスコミ権力にしかない。マスコミは自分たちが正義でないことを自覚しているから常に民意や世論を改竄したり、利用しようとするのである。それが日本人全体に見えるかどうかが、今後の日本の課題であると言えよう。