龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

屋根裏の鼠の如き我が思念 1/2

人間、誰しも時にうっかりと間違いをする。もちろん私もする。むしろ私などはしょちゅう間違えている。どういう間違いかと言えば、自慢じゃないが、私はこれまでに駅などの公衆便所で3回、間違えて女性便所に立ち入ってしまっている。故意にやっているわけではない。うっかりと間違えてしまうのだ。その時の私なりの、私的な状況パターンを説明する必要があるであろう。
先ず最初に私は普段から考え事をしていることが多いという特殊性がある。何を考えているかというとその時々なので一概には言えないが、まあ端的に言えば1円の金にもならない、世間的に見れば何の生産性もないことだ。このブログ記事に記しているようなことである。そういうことを道を歩いている時や、食事中や入浴時、トイレの中や寝ている時でさえ、つまり仕事をしている以外のほとんどの時間をいや仕事中でさえも哲学者のように茫洋と考え続けている。好き好んでそうしている訳ではない。考えるというよりも正確に表現すれば、言葉が脳の中を駆けずり回るのである。鼠が天井裏を走り回るようにである。なぜそのような状態になるかと言えば、まあ腹が立つことが多くて思念が常時そこに囚われ続けているからであろうが、特に「政治の嘘」というものがクリアに見えてくることへの私の憤りがいかに大きくて、虚しさがいかに深いかということは、他者には中々理解してもらい難いものであると思われる。それで脳の中を駆けずる鼠(言葉)が許容量以上に増えてくると発狂しそうになるので、どこかに逃げ穴をあけて放出してやらなければならない。それが私にとってはブログ記事を作成して公開することを意味している。そうすると暫くの間は天井裏(脳)の騒がしさが静まって落ち着くのである。そしてまた次第に新聞やTVなどの情報のおかげで鼠が増えてくる。その繰り返しである。
それはともかく話しを元に戻せば、そのように私は日常的に何らかの思念に囚われていることが多い。それゆえにか公衆トイレの男性用と女性用の位置を思い込みで判断してしまう傾向がある。向かって左が女性用で右が男性用であるとか、通路の突き当りが男性用でその側面が女性用であるという風にである。もう一つは、トイレの清掃後に床を乾かすために扉が開かれたままになっていることがあるが、これも私の悪い癖で、考え事をしている時に扉が開かれている状態を見ると、無意識に歓迎され、招かれているような錯覚を覚えて吸い込まれるように入っていってしまうのである。馬鹿なような話だが、私は小難しいことをいろいろと言っているが、根は単純で素直なところがあるので、閉ざされているものよりも開かれた何かを見ると本能的に安心感を感じて盲目的にそちらを選んでしまうようである。
それでは実例を挙げて紹介することにしよう。最初のケースは、ある喫茶店のことであった。そこのトイレは少し変わっていて、一つは女性専用で、もう一つは男女兼用なのである。女性専用の個室の扉には、よくあるような赤色の女性を表す標識が表示されていて、男女兼用の個室は女性の赤標識と男性の青標識が並んで表記されている。私はその兼用の男女双方の標識を見て瞬間的に頭が混乱し、反対側の女性専用の個室に入ってしまったのである。入って数秒経ってから気付いて飛び出したが、何でやねん、と突っ込みを入れられそうであるが、後で冷静に何でそのような間違いを犯したのか分析するとこういうことである。何か考えごとをしながら一つの扉に男女両方の標識が表示されているのを見ると、私の脳は赤色のみに反応したのである。信号の赤標識と同じように、赤はアカン(禁止の意、ダジャレではない)の色で、トイレの標識で赤は女性側というように刻印されているのだと思われる。男女ともにOKという風には瞬時に反応できなかったのである。禁止で女性を示す赤のみが目に飛び込んできて、すなわちこちらはダメだから反対側がOKということになってしまったのであろう。女性専用の個室には単一の女性標識が表示されているのであるが、その時点ではもうその標識は見えていて見えていないというか、脳がスルーしてしまっていたのだ。両方に女性の赤標識があるというイレギュラーな状況を脳が習慣的に拒否してしまっていて、正しい解釈が瞬時にアウトプットできなかったということだ。しかしこれが1秒間ぐらいの時間で脳を働かせていれば、私も間違えないと思う。その時は(大体において大阪人はせっかちだから)、0.2秒ぐらいの瞬間に混乱して一連の錯誤の判断が下されたのだ。優秀な脳の持ち主であれば0.2秒でも正確に情報の解釈がなされるのであろうが、私はダメである。そこには0.2秒の混乱があるのみであった。
もう一つのケースは、つい最近のことでこれはちょと危なかった。近鉄線の奈良県にある駅の公衆トイレであった。いつものごとく世の憂い事を考えながら(この習慣を改めなければならない)トイレに向かって歩いていて、瞬間的に私は確かに男の標識マークを横手に一瞥したのである。ところが今となってはなぜなのかよくわからないが、進行方向、突き当りにある空間に吸い寄せられるように入って行ってしまった。そうしたところ男性用の小便器が見当たらないのである。おかしいなと思いながら、きょろきょろと探すと隅の方に一つだけあったのだ。ああ、こんなところにあった、しかしこんなに広いトイレで小便器が一つだけて変わったトイレやな、などと考えながら、何気なくその小便器の前に立ってみると、これがまた妙に小さいのである。的が低くて膝を曲げて屈まないと小便ができない高さである。その時に私がふと思ったことは、この駅は何か男に恨みでもあるのではないかということであった。だからこんないやがらせのようなことを公的に堂々と行っているのだと。この辺りはそういう地域なのか、男を馬鹿にしやがって、社民党系か、と憤慨しながら仕方がないのでその便器で用を済まそうとズボンのチャックに手をかけた途端に、私は雷に打たれたようにはっと気づいたのである。あかん、ここは女便所や。そうである、私はその瞬間になってやっとわかったのだ。その小さな小便器は母親が連れて入った小さな男の子にさせるためのものであったのだ。それであわてて飛び出した。その時に初めて私は女性用トイレにそういうものが用意されていることを知ったのである。そんな具合であった。作り話のネタかと思われる向きもあるかも知れないが、そんなことはない。全て事実である。その他のケースはよくは覚えてはいないが、大体そのような感じの間違いであった。しかし私はこれまで3回(もしかすると4回かも知れない)も間違って女性用トイレに入っていながら、一度もトイレ内で女性と遭遇したことがない。入口付近から女性の姿が見えれば当然、瞬間的にそこが女性用トイレだとわかるから侵入することにならないが、たまたま女性利用者が不在で、そこが男性用だと思い込んで一旦入ってしまうと、周りを見渡して男性用小便器が見当たらないことに奇妙な感じを抱きはするものの、その直後にあれっとなって1~2秒の間、頭を整理しないと自分が今いる場所が女性用トイレだとはわからないものであるようだ。よってそのタイミングで女性が入ってくる事態になっていれば、びっくりして声を上げられたり、注意されたり、最悪の場合は通報されることにもなるので、これまで3~4回も間違えながら、いずれの場合も全く誰とも遭遇することなく無事に退出できてきたことは、つくづく自分は悪運の強い人間なのだと思う。しかしデパートとかショッピングセンターなどの利用客が多いところではトイレの付近にも女性の姿が目立つからさすがの私も間違えようがないのであって、私が思わず間違えてしまう状況自体が、閑散とした場所とか時間帯を限定するゆえに、誰とも遭遇しないで女性トイレから退出できたということもさほど悪運が強いとは言えないものであるかも知れないが、それでも最悪の事態を考えるとやはり私はそのようなケースにおける何がしかの運を持っているようにも感じられる。そうは言っても、このようなことを繰り返していると次回あたりはわからない。本当に下手をすると警察に捕まってしまうことにもなりかねないので、思念に囚われながらふらふら歩くという癖を改めないといけないと強く肝に銘じているところである。特に大阪の警察はガラが悪いからな。よう、気をつけんと、こういうことになるやも知れぬ。