龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

わさびテロについて

わさびテロというネーミングには笑ってしまった。何でも大袈裟に被害を訴えたがる韓国人らしい表現である。大阪のある寿司屋が、訪日の韓国人旅行者に対して通常の倍のわさびを混入していやがらせをしていたということである。実は私はその寿司屋のことはよく知っている。今は酒を止めてしまっているので酒なしの寿司というのも味気なく思われ、行かなくなってしまったが、2年ほど前までは、大阪難波にあるその寿司屋(難波に何店舗かある内の1店)によく行っていたものであった。どういう店かと一口で言えば、安くて美味しいのである。個人経営の店ではなくチェーン展開している、職人が握る、回らない(回転寿司ではない)寿司屋とでも言おうか。私が行っていた時は、今でも大して変わらないと思われるが、酒を2杯ほど飲んで寿司を腹一杯食べて、お吸い物も合わせて一人3500円までだったと記憶している。私にとっては、大阪は食べ物が安くて美味しい所であるということの象徴のような店であった。もちろん東京でも探せば下町あたりには、安くて美味しい寿司屋があるかも知れないが、一等地ではまずないと思われる。よく言われることだが、大阪はそういう意味でも住みやすい所なのである。だから中国や韓国などから旅行者が大挙して大阪に流れ込んでくることもわからないではない。大して見る所などないが、食べ物が安くて美味しくて、安全で、電化製品も大量に安く販売されていて、いろいろなサービスの店もあればそれだけでも観光に来る理由になるのであろう。それでそのわさびテロについてであるが、私が依然、贔屓にしていた店だから擁護するわけではないが、それほど大騒ぎするような話しなのだろうか。もちろん褒められた話ではないし、飲食店が客にする態度とすれば失格であろうが、何も寿司屋はその店だけでなく他にいくらでもあるのだからいやなら他の店に行けばよいのである。それに機械で作った寿司ではなく、職人が握る寿司は一つ一つ心を入れて握っているのだから、直接、商売とは関係ないとは言え、韓国の日本に対する反日的な政治姿勢を考えれば、韓国人旅行者に対して不快感を持ったとしても、人間的な感情とすれば自然である。ただ間違っているところは、問題とすべきは韓国の政治であったり報道の在り方なのであって、それは日本の政治、報道についても同様であるが、韓国から来た旅行者には何の罪も責任もないのだから、そういう人にわさびを多量に混入して腹いせをしても何の解決にもならないし、そういうことをした時点で韓国という低劣なお国柄と同レベルになってしまうものである。またそういう一つの不祥事、不品行をことさら大きく取り上げられ、今回のように都合よく政治利用される材料を与えることになる。それゆえに言わなければならないが、それでも日本は韓国や中国などに比べれば、安全なところであり、海外旅行者に対する飲食店やサービス業などの接客態度も親切かつ誠実である。日本のマスコミがまったく報道しないし、外務省もまた表立っては注意を喚起しないので表面化はしないが、日本人が韓国に旅行してどれだけの人間がぼったくりの被害に合っているのか、また韓流に影響された無防備な若い女性が性的な被害に被って現地の警察にも取り合ってもらえずに泣き寝入りになっているケースも実数はわからないが、決して少なくないはずである。日本旅行にやってきた韓国人がたまたま遭遇したわさびテロなどの数とは比べものにならないはずであり、数十倍レベルの違いではなく、おそらく数百倍も多い日本人旅行者が韓国でだまされたり、何らかの被害に合ったり、不愉快な思いをしているはずである。これは単に想像や推測だけで言っていることではなく、実際に身近な人間からよくその体験談を直接、間接に耳にすることである。そういう状況を総合的に考えれば、「わさびテロ」などそのネーミングはいかにもおどろしいものではあるが、比較すればいかにも可愛らしいものに過ぎないではないか。何も毒を盛っているわけでもあるまいし。繰り返すが私は何もわさびテロを肯定する訳ではないが、そういう情報の非対称性、非均質性が許せないのである。言ってみればそれ自体がテロみたいなものではないか。我々日本人は日々、操作された非対称的な情報の毒を飲まされながら、何とか生きているのである。