龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

麻央さんの笑顔を見て感じること

僅か34歳の若さで、二人の子供を残して、亡くなった小林麻央さんは大変に気の毒だと思う。しかし同時に、私が麻央さんを見ていて思ったことは、この人は本当に幸福な人なんだなあ、ということであった。なぜそう思ったかと言えば、彼女の顔写真やブログの画像を見ているといつも輝くような笑顔で、表情に曇ったところが微塵もないでしょう。迫りくる死への不安だけでなく、抗癌剤の副作用による苦しみも並大抵のものでないことは、比べ物にはならないが、私も皮膚科が処方するステロイドの副作用で苦しんだ経験があるので、それなりに想像できるものであるが、とてもではないがあのような笑顔は自分には考えられないものである。それも無理をして作った笑顔ではなくて、心の奥底から自然と溢れ出てくるような笑顔でしょう。その笑顔を死の間際まで保てるということが、何よりも私にとっては衝撃的な光景なのである。自慢じゃないが私などは、今では体に問題は抱えていないが、いつも憂鬱そうな、まるで自殺寸前の太宰治のような表情(あんなに二枚目ではないが)をしていると思う。昨年、高校の同窓会に参加した時も、記念撮影の時に私だけが暗い表情をしていたのか、撮影者に「笑って」と名指しで注意されたものであった。そう言われても、笑顔の馴染まない心に、笑顔を作り出させることは、なかなか難しいものである。だからそのような私には、死の直前に見せていた麻央さんの笑顔は、あまりにも眩しすぎるのである。麻央さんの笑顔の正体は何だったのであろうか。もちろん彼女の強さであるとか、人柄によるものが大きいであろうが、それだけではなくて、やはり恵まれていた部分も大きいのだと思われる。愛情と美貌に恵まれて育ち、人間関係や経済的にも恵まれていたであろうことは事実としてあると思う。誰もが死に臨んで、あのような太陽のような笑顔ができるものではない。1万人に1人か、100万人に1人かわからないが、きわめて希少で貴重な笑顔だったと思う。だから私は、麻央さんの人生は短い生涯ではあったが、とても幸福であったであろうと考えるものである。
翻って、何が言いたいのかと言えば、政治の在り方とは本来、恵まれていない立場の大多数の人間を笑顔に、幸福へと導く性質のものでなければならないもののはずである。金持ちだけが、有名人だけが納税している訳ではないのだから当然のことである。しかし自民党の政治(自民党だけでなく日本の政治全体の問題であるが)は、一体どうなのかということである。大多数の幸運、幸福とは言い難い圧倒的多数の国民を増税や法律で抑圧したり、情報操作で騙したりを繰り返して、なんとか国全体の安泰と統制を計っているだけではないのか。その裏側で、これまで何度も言及してきていることだが、詩織さんのレイプもみ消し疑惑や、そのような問題が決して政治の争点にならないような報道抑制、情報操作が当たり前のように行われているものである。そしてそのような政治や統治の在り方が、国民の笑顔や幸福を毀損しているものである。幸福とは霊的(個人的)なものでもあるのだろうが、本質的には、相対的、社会的な観念なのであって、政治の堕落が国民の不幸を意図的に醸成している構図はあると私には考えられる。今回の麻央さんの訃報も、NHKニュースは異例にも番組の冒頭から長時間の時間を割いて報道したものであるが、一方で、前川喜平氏が主張するように獣医学部新設の問題についてはNHKは最初にインタビューしているにも関わらず、未だに報道していないという偏向が見られるものである。私の記憶では、NHKは前川氏が文部科学省事務次官を務めていた時分に出会いバーに通い詰めていた過去を追及する記者会見の場面を、内閣府の意向を受けた意趣返しのように放映していたものである。報道の役割とは一体何なのであろうか。権力の御用聞きに徹することなのであろうか。権力の役割とは何なのであろうか。圧倒的多数の国民を蒙昧化させて、抑圧、統制の構図を維持することなのか。全ての国民が麻央さんの笑顔に一歩でも近づけるように、権力と報道の関係性について追及するとともに、社会的な意識を日々高めていく必要性がある。