龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

子供たちの自殺願望について

僅か2ヶ月ほどの間に9人の人間を殺害する心の闇の深さは計り知れないが、それだけの自殺志願者(8人)が近隣の都道府県からSNSで簡単に集められるということが衝撃的である。しかしそれ以上に不可解なことは、被害者で唯一、名前が公表されている23歳の田村愛子さん以外に女子高校生が3人もいたということである。普通に考えれば、未成年者の高校生がある日突然、行方不明になればもっと大騒ぎになるはずである。仮に高校生が自分の意思で家出したとしても、本人の自由という訳にはいかないはずである。誘拐や今回のような事件に巻き込まれている可能性もあるのだから、メディアで大々的に報道されていなければならないはずだが、そもそも親は警察に捜索願をすら出していたのかどうかも疑わしい。今回の事件は田村愛子さんの兄が懸命に妹を探し出そうと努力した結果、白石容疑者の逮捕に結びついたということだが、肉親の行動とすればそれは当然のことであって、他の被害者の家族は特に女子高校生の親は何をしていたのかということである。その辺の具体的な事情については報道では伏せられているのでわからないが、なぜこのようなことを指摘するかと言えば、16や17の年齢で本来であれば人生で最も楽しくて、輝いていなければならない時期に、まあ友達関係であるとか受験などいろいろな悩みも当然あるであろうが、家庭内で自分の存在を必要としてくれない、あるいは否定されているような境遇に置かれていると自殺したくなるのも無理はないのではないかと思えるものである。大人になってそれなりの経済力や社会的な地位、位置付けが身に付いてしまえば、身の回りの処遇や境遇で窮地に陥ったとしても自分の存在感というものは確立されているであろうから自殺の動機は自ずと質が異なるであろうが、高校生ぐらいの時に親や保護者の愛情が欠けていたり、自分の存在の必要性が根底のところで否定されているようなケースでは、確かにかなり生き難いであろうし、この世に自分の身を置いていることがきついと思われるものである。消えてなくなりたいという気持ちも分からないものではない。そして今の日本ではそのような子供の数が想像以上に多いのではないのか、また増えてきているのではないかと、今回の事件だけを見ても推測できるものである。親だから子供を愛したり、守ったりするということは今の時代にあっては、必ずしも絶対的なものでも本能的なものでもないのである。それなりに家庭環境が安定しているのであれば子供も大切にされるのであろうが、酷い話しではあるが、自分の子供が邪魔であるとか、死んでしまうなり、どこかにいなくなってくれた方がよいと望むような親も決して少なくないのであろうと思う。そしてそのような環境下の子供は自然と自殺を考えるように心理的に追い込まれていくのであろう。日本の政治は、そういう不幸や負の側面に目を向けようとはしない。メディアもまた自分たちのビジネスに敵対するSNSやネット情報を批判するだけで、社会に構造化され蓄積されてゆく不幸というものに対しては微妙な情報操作で政治マターにならないよう全体的に管理しているものである。特に自民党政治の本質的な能天気さは、トランプ米大統領歓迎の夕食会にピコ太郎を連れて行くようなところに象徴されているが、今更批判してどうにか改善されるようなレベルにはない。日本の悪政や社会操作の構造的なしわ寄せで、この地上世界に居場所を見い出せない子供の数が増えていることだけは確かなのであろう。