龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

遭難親子の捜索活動について

今更文句を言っても仕方ないことではあるが、やはり言わずにはおれない。新潟県五頭連山で5月5日から遭難していて先日、遺体で発見された渋谷さん親子の捜索についてである。警察の捜索は5月7日から開始されているので29日発見まで3週間余り掛かっていることになる。小学校1年生の子供が1日程度で歩ける距離から考えても捜索の範囲はそれほど広くはないはずである。なぜ3週間も要したのか。3週間と言っても親子が生きていた日数は、雨による体温低下や手持ちの食糧がなかったであろうことから考えても1週間もたなかった可能性が高い。しかし報道されている通り、渋谷さんの父親が6日の午前9時20分ごろに阿賀野署の駐在所にいた署員に甲哉さんが山中で道に迷って子供と共に野宿しまだ帰って来ていない事実を伝えているにもかかわらず、その署員は本部に連絡することを怠って捜索の開始が1日遅れている。それだけでも重大な時間のロスであるが、不可解なことに私がこれまでにも何度か言及していることであるが、甲哉さんは5日の夜に、父親の秀雄さんに対して「松平山と五頭山の中間辺りにいるようだ」と携帯電話で話しているのである。ところが7日に始まった捜索活動は松平山からも五頭山からも西に離れた扇山と赤安山から始まっている。その後松平山の登山口で渋谷さんの登山届が見つかり、松平山山頂に向かう渋谷さん親子の目撃証言もあったことから8日以降は、松平山周辺も含めて捜索範囲を広げたということであるが、秀雄さんの話しがきちんと捜索隊に伝わっていれば5月5日の夜の時点では親子は松平山と五頭山を結ぶ登山道にいたことが推定されているので7日の捜索開始の時点で捜索範囲はもっと限定されていたはずである。常識的に考えて秀雄さんがそのような重大な情報を警察に言っていないことは考えられないので、阿賀野署がその情報を連絡ミスか連携の不手際で捜索隊に伝えられていなかったのであろうと考えられる。この時点で既に警察の怠慢、不手際で2日のロスがあったということになり、雨や食料事情を考えれば渋谷さん親子の生存は5月6日と7日の2日間でほぼ絶望的になったと言っても過言ではないはずである。山で遭難したこと自体は確かに渋谷さんの自己責任であろうが、警察組織のこれらの基本的な伝達ミスや怠慢はほとんど人災といってもよいのではなかろうか。私が指摘していた通り最初から警察の動きは、きわめてモチベーションが低かったと見られるものである。ただし全国的にはほとんど大きく報道されていなかったが、地元民の心配する声の高まり、拡がりに引きずられるように阿賀野署は「だらだらと」捜索活動を継続させていたように私には感じられたものである。もちろん山中での捜索活動は肉体的に負担は大きい。私などは1日山登りに行っただけで体力を消耗してぼろ雑巾のようになってしまう。だから「だらだらと」などと言っても3週間も捜索活動を続けることは大変な激務である。少なくとも遺族の立場では遺体を発見してくれたことだけでも「お疲れ様でした。」とか「有難うございました。」としか言えないものであろう。しかし、それはそれ、これはこれである。お疲れ様であっても誰かが言うべきことを言わなければならない。マスコミも誰も言わない、或いは言えないのであれば、私が言わなければならないという思いだ。繰り返すが渋谷さん親子の命は、捜索開始の遅れや、重要な情報が伝達されなかったことによって早期に見つけられる可能性が決定的に失われてしまった。なぜなら遭難して2~3日の間であれば、捜索隊の声掛けや近くに捜索隊が来た気配を渋谷さん親子が気づいて大声で呼びかけ居場所を知らせることも出来たであろう。毎日新聞の記事によれば渋谷さん親子の遺体が発見されたコクラ沢は登山道から西に1.5キロ入り込んだところであるということだが、街中ではともかく山の中では1.5キロの距離があっても大声を出せば声はこだまするであろうし届いていた可能性があると思われる。だが当然のことであるが死体になってしまえば呼び掛けには応じられないし、衰弱して死にかけていても同じである。大声を出せる体力が残っているタイムリミットはせいぜい2~3日であったであろうと考えられる。
また親子が亡くなった以降の発見にしても3週間はちょっとかかり過ぎているように思われる。29日の発見にしても捜索隊が歩いて発見したのではなくて、ヘリコプターが空から発見したものである。これがどういうことかと推測するに、捜索隊は6歳の子供の体力や脚力を考えて、いくら何でも6歳の子供を連れて入っていけないであろうと思われるような場所は捜索の対象から外していたのではなかろうか。よって登山道からちょっと入り込んだ程度の沢に降りていくような場所を中心に何度も何度も同じような個所を探していたのではないかと想像される。しかし実際にはそのような普通では親子が入っていくことが考え難いような場所で発見されているようである。精神的に追い込まれて何とか子供を助けようとする父親の気持ちを考えれば、子供の体力を考慮して捜索範囲を限定するようなやり方は間違っていたと言えるし、元々のモチベーションが低かったことからそのような「だらだらとした」捜索になったのではないかという気もする。まあ、あくまでも私の想像なので確かなところはわからないが、このようなことについての私の想像は大抵の場合、全てぴったり合っているとまでは言わないが、的外れではないのである。