龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

我々に何がわかっているのか

罪もない人々がある日、突然、この世のものとは思えないような光と熱に包まれて地獄のような苦しみの中で死んでいった。今風のファッションなのか、思想信条の表明なのか知らないが、そういう原爆をデザインしたTシャツを着て心が痛まない感覚というものがわからない。そういうアイドルグループを熱烈に応援したり擁護する日本のファンの心理というものもわからない。何を考えているのか、何も考えていないのか、それとも人として何かを考えるということが、そもそもできないのか。また大衆芸能誌でもないのにそのようなアイドルグループの愚行を支持したり、正当化するような韓国マスコミの日本に対しては平気で品位をかなぐり捨てる精神性の態度もわからないと言うべきか、もうこれ以上ないほどにわかり切っているというべきか。

しかしである。そういうレベルだけでわからないとか、わかるなどと言い合っても意味のないことである。誰もが自分のことだけしか考えていない。今、この瞬間の目の前の現実だけしか見ていない。わかったような顔をしている全ての人に問い掛けたい。そもそも原爆が日本に投下された時点では、日本は完全に経済封鎖されていて物資不足から少なくとも長期的に戦争を継続させることが不可能であったことはわかりきったことだったはずである。米国側の主張によれば、戦争を早く終結させるために必要だったということであるが、日本が降伏することは時間の問題であったはずだ。そうであればなぜそのような状態の日本に原爆を2発も投下して、数十万人もの罪のない人々を殺さなければならない必要性があったのか。今となっては戦勝国も敗戦国も関係ないはずだ。歴史的に考察すべきことは、そういう戦争の終結のさせ方が人道的に、決定的に間違っていたのではないかということではないのか。人間としての在り方を度外視しておいて目の前の力関係だけで何かを主張したり、態度を変えているのでは本質的には動物と同じだと思う。もちろん日本が人道的に正しいとか、正当だなどというつもりは毛頭ない。戦争に負けたことは単なる結果論であって、正義とか人倫などとは別の次元の問題である。戦争に負けて、多大なる苦しみと被害を被ったから人道的になれるということでもないようである。日本政府は戦後に東京大空襲と原爆投下を指揮した軍人のカーチス・ルメイ勲一等旭日大綬章を授与している。カーチス・ルメイ終戦直後に仮に原爆の投下がなかったとしても戦争は2週間以内に終わっていたであろうと記者会見で答えている。国民感情としてどうかという問題ではない。日本は敗戦国家であるが、敗戦国家であるにも関わらず人道の感覚がどこか狂っているのである。だからそういう軍人に過去は過去として割り切って、訳の分からない理由で平気で勲章を与えるようなことができるのだ。それもまた日本という国家の姿であり、本質であることを我々国民は直視しなければならない。そうであればこそ未だに原爆のキノコ雲をデザインしたTシャツを平気で着る韓国アイドルに原爆で亡くなった多くの人々が冒涜されることになっても、それを受け止める日本の政治や国民感情には人間らしい重みや悲しみというものが希薄になっているように感じられるものである。政治やマスコミの論調は、その時々で国民に何かをわかったような気持ちにさせるある種の詭弁であり催眠術のようなものである。本当は、わかることとわからないことの境目にしか健全な人間らしさというものは見い出せないものなのかも知れない。