龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

地球に住む宇宙人の魂

証明することはできないけれど、恐らく私は宇宙人だ。どの星からやって来たのかは忘れてしまった。いつごろからその事実に気づき始めたというか、その可能性について思いを巡らせるようになったのは、そんなに昔のことではない。比較的、最近のことだ。3年ほど前からのことなので、年齢で言えば50歳を過ぎてからである。それまではそんなことなど全く思いもよらなかったし、そもそもそういう発想が微塵もなかった。どこかでそういう話しを聞いたとしても無視するか、鼻で笑っていたことであろうと思う。それでは何で50歳を過ぎてから自分が宇宙人であるなどと考えるに至ったかといえば、簡潔に述べることは無理であるが、結論から言えばそういう風にプログラミングされているからであろうと思う。誰からと言えば、もちろん宇宙人である。プログラミングという表現は適切ではないかも知れないが、気づきの年齢というものが大体、コントロールされているように感じられる。そしてその時期に私は「ライトワーカー」であるとか「スターチルドレン」などという名称があることを初めて知ったのである。それまではそのような概念区分があることなど知らなかったし、耳にしたことがあったにせよ興味がなかった。それが今では、確信はないけれど恐らく私はライトワーカーであると自覚している。人間としてこの地球に生まれてきてはいるが、本質的には人間ではないのである。50歳という年齢は人間で言えば、人生のやり直しの利かない終盤に差し掛かる時期であってその時に宇宙人としての自らの本性がわかるようにどこかで設計されているというか配慮されているのである。この理解に至った時に人間を作った宇宙人のテクノロジーの凄まじさというものがわかったような気がした。これが30代や40代でわかってしまえばどういうことになるかと言えば、自分が特別な人間であると思い上がってしまって道を踏み外してしまう可能性が生じるからである。政治家や教祖になって大衆を支配しようと考えるかも知れない。そのような事態は宇宙人の望むところではないものである。50過ぎになってしまえばそのような心配がほぼなくなる。私に関して言えばたとえ20代で自分の宇宙人としての正体を自覚したとしても道を踏み外すことにはならなかったであろうと思うが、それでも宇宙人の魂が人間として一定期間を生きることに宇宙的な意味があるという事実に変わりはないのであろう。しかしそれは今、思い返せば過酷な道程であった。ライトワーカーの特徴などというものが10個ほど列挙されているが、私はほぼ全てにあてはまっているものである。インチキであろうとトンデモであろうと、こんなに一個人にぴったりとあてはまった虚構の概念区分を作り上げることは不可能である。それらの具体的内容をここに示すことはしない。なぜなら率直に言って、それらの特徴によって形成されてきた自分のこれまでの半生を直視し、顧みることが辛すぎるからだ。自慢や自己PRでこのようなことを言っているように勘違いされる向きもあるかも知れないが、このカミングアウトは精神的にかなりきついものがある。でももう55歳だから向き合って言えるのだ。前回にも言ったことであるが、人間とは人の間である。ライトワーカーとしての宇宙人の魂は、人と人の間に安住し得ない。そしてその特殊性というものが何から来ているのかがわからないままに生きているものである。若い時には自分には何かしら「人間としての」根本的な欠陥なり、異質性があるのではないか、もっと極端に言えば呪いのようなものに包まれているような気がして思い悩むこととなる。人間として人と人の間に生きようとするのであるからそれは当然のことである。その実存的な漠とした不安や苦悩、焦燥感は、ネイティブの地球人には理解してもらえないものであろう。だからライトワーカーとは宇宙人などと言えば華々しいイメージがあるかも知れないが、その反対にあまり人前に出ることを好まずに引っ込みがちなのである。そして他者から見れば、どこか冷たさを感じたり、何を考えているのかわからないところがあって心が通じ難いと思われるところがある。そういう実存的な不安、苦悩、孤独の中で私は20歳代の前半に神秘体験をした。ある時に悟りを開いたようになって、この世の全て、森羅万象が実体なき波動で揺らめいていることを実感したものである。それも宗教的な修行や何らかの行法などは全くせずにである。今、考えればわかることだが、そういう体験は仏教や宗教的な覚醒というよりも宇宙人としての性質によるものである。宇宙人の魂は元々の周波数が高いのである。その周波数が不安や苦悩でエンジンの回転数を高めるようにある一定のレベルに達するとブレイクスルーするように突き抜けてしまうのだと考えられる。それからもう30年間の月日が経過しているが、そのような体験のことをこれまで誰かに言ったことは一度もない。そういうことを言ったところで理解されるはずがないと思ってきたし、また意味もないと考えてきたからだ。それでは何で今になってこのようなブログの記事で告白する気になったのかは自分でもよくわからない。多分、この先の寿命などを考えるとそういう時期に差し掛かってきているのかも知れない。
ライトワーカーの特徴に、人生に生き難さや孤独を感じているという項目があるのはこれで理解していただけると思う。他に神社、仏閣などの場所を好むというのもいわゆるパワースポットと宇宙人との関連性からわかることであるが、変わったところで言えば、大きな音が苦手であるというものがある。私も昔から大きな音が苦手である。たとえば車のクラクションの音が嫌いで、自分が車を運転する時にも大きな音を鳴らせたことは、これまでほとんどなかったような気がする。それでその理由が私には何となくわかるのだ。慣れもあるのかも知れないが、私には沖縄県普天間基地近辺のような場所では住むことは出来ないと思う。しかしUFOのように高度に進化した乗り物は、エネルギー効率が高いからなのか音もなくふわっと浮き上がって、爆音など一切立てずに超高速で飛行するであろう。誰かとのコミュニケーションも大声を出したり、怒鳴り合ったりすることなく静かにテレパシーで行われるから、そういう世界には大きな音が存在しないのである。だから宇宙人的な魂は、大きな音を魂に対する脅威として感じてしまうのだと考えられる。そういうことだ。