龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

映画とドラッグについて

ピエール瀧が捕まったのか。残念だな。いい俳優なのに。映画『凶悪』で見たピエール瀧の演技は、存在感が圧倒的であった。殺人者を演じた日本の映画において、『凶悪』のピエール瀧は『冷たい熱帯魚』のでんでんの演技と共に、その危険性が群を抜いていた。思わず、のけ反ってしまうような迫力があった。見ているだけで震えが来る『ノーカントリー』のハビエル・バルデムの演技には及ばないかも知れないが、日本映画を代表する実力を持った俳優が、その演技のやばさが劇場のスクリーンで見れなくなってしまったことは、残念でならない。ピエール瀧が醸し出すアウトサイダー感というものは、どこか本物ではないかと思わせるほどの迫真性があったが、一映画ファンとすればそういうリアリティーが見たいのである。安っぽく作られた演技であれば、TVドラマを見ていれば充分である。過激な作品が良いとは言わないが、劇場の大きなスクリーンで見て、これはちょっとやば過ぎるから上映禁止になるのではないかと心配してしまうような演技は、お金を出して見る価値があるとも言える。役所広司が演じるヤクザなんかは、確かに名優だけあって上手いんだけれど、有無を言わせぬはリアリティーは感じられない。ピエール瀧の危険な存在感やリアリティーは、ドラッグに頼って生み出されたものなのであろうか。いかにもドラッグをやっていそうな気配を漂わせた演技ではあったが、その本物感がどこから来ているのかまでは、見ている者にはわからないのである。
しかし擁護するつもりはないが、俳優の仕事とドラッグというものは、音楽もそうであろうが、完全に切り離すことは難しいように感じられる。捕まる者は氷山の一角であろう。昔は勝新太郎なんかが、マリファナやコカインで捕まっても大して悪びれた風もなく堂々としていたものだが、時代が違うと言えばそれまでだが、閉塞的で極端に管理主義的な今の時代こそそういう型破りな個性や存在感も必要なような気がする。
こう言っては何だが、マリファナ一つしたことがないような役者に、果たして殺人者や狂人を演じきれるものであろうか。学校の教師や銀行員がドラッグをすれば、運よく捕まらなくても生活破綻者でしかない。私も同様である。私はタバコも吸わないし、酒は去年の4月から付き合いのために再開したが、それまでの2年半は健康のために一滴も飲まずに断酒していた。今も週1回ほどは外で飲む機会があるが、家では全く飲まないことにしている。また甘い物も免疫力を下げて健康に悪いので、砂糖や菓子類は摂取しないように気をつけている。よってドラッグなどは論外である。そもそも私は医者が出す強力なステロイド軟膏を1年8か月も塗り続けたせいで、ステロイド皮膚症になり、ホルモンの分泌や自律神経の働きが悪くなったのに、路上で売られているような得体の知れないドラッグを身体に入れるようなことは紛れもなく純粋な自殺行為としか考えられない。だからドラッグが厳しく取り締まられることも当然であるとは考えている。しかしである。矛盾するようであるが、自分と同じようなタイプの人間が演じる犯罪者や悪人の映画を見たいかと言えば、正直に言って嫌悪感しか感じられないし、そんな物には10円の金も出したくはない。逮捕される可能性も含めて破滅的な行為ではあっても、役者や芸術家の仕事のクオリティーがドラッグによって高められるのであれば大目に見てやるというか、罪を軽減してやってもよいのではなかろうか。ハリウッドのアカデミー主演、助演賞の受賞者の中でドラッグ経験のない人間など一人もいないのではなかろうか。まあ捕まる人間の才能の希少性にもよるし、法の下の平等性の原則は崩せないということもある。また優れた芸術を作り出すためにはドラッグが必要という口実が一般化することも社会悪であることは認める。いずれにせよ私は個人的には良い映画と、素晴らしい役者の演技が見れればそれで満足なのである。ドラッグの有無に関わらず、安っぽいものや嘘くさいものは金を払ってまで見たくはない。ピエール瀧には余人に代えがたい才能があるので戻ってきてほしい。付け加えて言えば、マッサージの最中に性欲をコントロールし切れなくて、マッサージ嬢をレイプしてしまうような恥ずかしい脇役は二度と見たくもないので終身刑でもよいのではなかろうか。