龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

ドラマ「カルテット」と役者の力量

宗教について続編を記述しようと思っていたのだが、宗教のことについて書くのは気疲れするんだよな。言いたい放題に書いているようで、これでも気を使っているのである。一生懸命に信心している人が、日本には多過ぎるからだ。ということで少し間隔を空けることにして、今回は罪のないソフトな話題にする。

TVドラマについてであるが、私はドラマというものをまったく見ない。世間で話題になっているようなNHKの大河ドラマなども見たことがない。なぜと言って、時間を割いてまで見るほどのものでもないと考えているからであるが、食わず嫌いで意外と面白くて、質の高いドラマもあるのかも知れない。先日、TVであるドラマをちらっと見て、3秒ほどでTVのスイッチを切ろうとしたのだが切れなくて、10秒になり、1分になり、結局、最後まで見終えてしまった。そういう風に視聴者を強力な吸引力で引き付けて、離さずに最後まで鑑賞させてしまうことがドラマや役者の本当の力なのだと思う。そのドラマはTBSの『カルテット』である。TBSは報道番組は腐っているようにしか見えないけど、ドラマはどういう訳か、こういうような質の高いのを放映しているんだな。全体的な感想を言えば、主演の松たか子が良い。彼女の演技力には素晴らしいものがあると思う。それから満島ひかりも、ちょっと見ないうちに(などと言うと近所のおばちゃんのようであるが)、私は映画の『愛のむきだし』以外は見たことがなかったのだが、いい女優になっていてびっくりした。随分、綺麗になっているし。それから松たか子の夫役をしていた男は、クドカンというのか。知らなかったな。新人の俳優だと思って見ていたので、二枚目ではないのに抜擢されているのが不思議な気持ちであったのだが、確かにあの男には、只者ではない味わいが感じられた。しかし何と言っても、このドラマは松たか子の演技力が光っている。彼女の良さは、うまく説明することが難しいけれど、何というか伝わってくる心が感じられることだと思う。それがセリフを言っている時ではなくて、黙っている表情の時にすっと伝わってくるから、全体的に抑制の利いた品のある演技になっているのだと思う。松たか子には、やはり血筋なのか、そういうセンスと存在感が自然と備わっているように見える。またそういう所に演技の本質があるのであろう。役者が黙っていて、体の動きもない時にオーラのように表現できるものがあれば、セリフや動きは無理のない自然体のものになり、セリフが少なくともまた動きが小さくても説得力があるものである。だから見ている視聴者は、感情移入していくことになる。それに比べて大根役者は黙って表現できるキャパがないから、セリフや激しい動きでその欠乏を埋めようとするゆえに、見ている方は何となく興醒めしてしまうものである。たとえば無声映画チャップリンなんかも、コミカルな動きで演技しているように思われがちであるが、じっと静止している瞬間のチャプリンの表情は、見ていて飽きないものがある。そしてそこにこそ役者の内面的な豊かさや感性の鋭さの本質が表出されているのだと思われる。だからこそコミカルな動きが風刺や情感の表現として生きてくるのである。日本の喜劇俳優である藤山寛美もセリフが途切れた瞬間の表情が、最高に面白かった。タイプは全然違うが、松たか子の演技にもそういう資質があるように思えた。また満島ひかりを見ていても、何かしら内面の成熟が自信になって表情に表れてきているように見えて、ああ、女優になってきているんだなという印象である。女優という肩書だけで演技ができないタレントも数多いが、役者の仕事は頭が悪くて、感性が貧しいと人には決してできないものであろう。