龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

朝日新聞の購読を止めます。

今日の朝日新聞、朝刊を見て長年購読してきたが、次の年度更新はしないことに決めた。その記事は、30面に掲載されていた「嫌韓」炎上 議論なき謝罪として週刊ポストの姿勢を批判したものである。今更ではあるが朝日新聞反日は、目に余るものである。それは百も承知で、定期購読してきたものであるが、慰安婦問題で朝日の責任が追及されて以降は、その反日のやり方が卑怯になってきているように感じられる。これではちょっと読むに耐えないというよりも触るのも穢らわしいという思いで、とても金を払う気にはなれない。年度契約更新月の関係で来年の4月までは買わなければならないが、それは仕方ない。契約を止めても朝日の反日を誰かが監視しなければならない。そういう思いで20年近く購読料を支払い続けてきたが、今後は図書館にちょくちょくと本を借りに行っているのでそこでまとめて見ることにする。毎日新聞も含めてだ。ここまで卑怯でひどい世論誘導をする新聞にこれ以上、1円たりとも金を出したくはない。

具体的に言えば、朝日は「議論なき謝罪」と言うが、この記事内容では問題になっている週刊ポストの記事を読んでいない人(ほとんどの人がそうであろう)は、週刊ポストは今回の韓国特集の記事内容について全面的に謝罪しているような印象を受けるであろう。ところが実際にはそうではない。週刊ポスト側は、特集の中の一部の怒りを抑えられない「韓国人という病理」の記載が、誤解を生む可能性があったとして謝罪したものである。その他の記事については、週刊ポストは謝罪していないし、また謝罪しなければならないような内容のものでもない。それから今回の号について、発行元の小学館と今後は仕事をしないと絶縁表明をしている著述家たちは、週刊ポストの内容を読んでから批判しているのではなくて、新聞広告の見出しである、「嫌韓」ではなく「断韓」だ 厄介な隣人にサヨウナラ 韓国なんて要らないという内容がけしからんと条件反射的に反応しているものである。つまりわかりやすく整理すると、9月2日に発売された時点では、批判している人々は広告の文言を問題視しているのに対し、週刊ポストは広告を謝罪しているのではなくて特集記事の一部について、誤解を生む可能性があったことを認めて謝罪しているものである。その辺りのズレや食い違いについて、朝日新聞はまったく触れていないだけでなく、曖昧にごまかして、あたかも特集記事そのものに問題があったことを週刊ポストが即座に認めて謝罪しているように印象操作しているものである。このような卑怯なやり口が社会の公器とされている新聞社のすることなのであろうか。仮に本文の内容とは無関係に、広告内容がいけないと朝日が言いたいのであれば、韓国が日本製品不買運動で町の至るところに掲げられていたNO JAPANの看板については問題はないのかということである。日本からの多くの観光客が韓国でそのような看板を見て不快感を感じていたことについても、新聞社とすれば公平に言及すべきではないのか。これでは国民の多くは一体何が問題なのかもわからずに、韓国の過激な反日運動は黙認されても、日本は韓国については一切の批判をしてはいけないのだという意識を深く植え付けられるだけであろう。長年、朝日新聞を見続けてきた者として、今、はっきりと言えることは、朝日の記事は日本を内部から破壊する反日工作を表面的には見え難く、わかり難くしているだけの内容であるということだ。監視する必要性はあっても、読むべき価値はない。