龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

本当のことを言ってはいけない日本と言う国

暴露系などという言葉自体が、否定的なニュアンスを帯びている。ならば週刊文春もフライデーも暴露系メディアと分類し、呼称すべきなのであろうか。何でもよいが、ガーシーを応援したり、擁護するつもりもないが、ガーシーが参議院選挙に当選して国会議員になったことに対して、嫌悪感や不快感を感じる人々が多いようである。そういう人々は、ああいう人間が当選するようでは、日本の政治はもう終わりだと嘆く。ああいう人間とは、どういう人間かと言えば、博打で無一文になって、有名人と合わせることをネタに詐欺をして金を稼ぎ、そしてそれをユーチューブでバラされて仲間から見放されて孤立し、それに対して激しい怒りで様々な芸能人の不祥事や犯罪性のある行為を動画で暴露して有名になり、影響力を高めていくような人物のことである。そういう人間が卑しくも国会議員になどなってしまえば、日本の政界の品位や権威が穢されて、低俗化が進むなどと思っているのであろうと想像される。そういう風に考える人々はある意味では良識的とでもいうか、健全で真っ当な感覚の持ち主なのだと言えよう。マスコミも基本的にはそのようなスタンスでガーシーの存在感を意図的に軽視したり、無視してきたものである。どのように感じようと、考えようとその人の自由なので、批判するつもりはないが、そういう人々は社会の表面の上澄み部分のみを見て生きているのであって、本当は何もわかっていないし、何も見えていないのである。政治に素人の私が断言するのは憚られるが、政界とは我々一般人からは想像もつかないような悪人が集まる巣窟であり、少なくとも今の日本の政治に国民によって守られなければならないような品位や権威の欠片でも残っているなどとは到底、考えられない。そういう政治家を選んでいるのは国民自身であるから、結局は国民の責任であるなどという理屈は、政治やマスコミが国民支配の地獄のような悪質性と腐敗度合いを国民の目から隠蔽するためのレトリックであることを大半の国民は理解できないのである。国の財政破綻も景気の低迷も巡り巡って、全ては国民が悪いのだからその代価は国民が背負わなければならないというような洗脳のシステムの中で様々な税制や法律が作られて、国民の生活は益々苦しくなり、それに対して疑問を持つ能力自体が二極化していてない人にはまるでない。分かる人は私のような人間が何も言わなくとも、私などより何十倍も分かっているのであるが、分からない層には何を言っても馬耳東風で深いところでは生きることの指針とはなり得ないのである。洗脳とは恐ろしいものである。そういう人々が政府やマスコミが推奨すれば何の疑問も持たずに、何度でもワクチンを喜んで打つのであろう。しかし昨今の傾向としてさすがにわかる人、わかろうとする人は、政府やマスコミによってどれほど情報統制されようとも増えてきている。ガーシーが何を暴露するか、それによって損なわれる日本の品位などどうでもよいことである。ガーシー自体が政治のことや、政治の本当の怖さを分かっていないが、善悪や品位の問題ではなくて、純粋に何かを暴露するということ、何かが暴露されなければならないということ、そしてガーシーの不動明王のようなあの激しい怒りそのものが、今の日本で分かろうとする人、分かる人が増え始めていることの反映というか、象徴というか、ともかくも一つの必然だということである。もう一人挙げれば、私は投票していないので偉そうなことは言えないが、今回の選挙で一議席を獲得した参政党の神谷氏の選挙演説動画を見ていて強い印象を受けたのだが、演説の中に「陰謀論」というワードが何度も出てくるのである。神谷氏は日本にとって、日本人にとって大切で、当たり前のことをこれまで主張する活動を続けてきただけであるのに、どうも陰謀論者のレッテルを貼られて既存政党や既得権益層から妨害されたり排除されようとしてきたということである。その演説を聞いていて、なるほどと、その腹立たしい気持ちはよくわかる思いであった。日本の政治やマスコミなどの既得権益層は、日本のために勇気を持って本当のことを言う人間に対して、一つ覚えのように陰謀論者のレッテル貼りをすれば排除できると考えていて、延々とその手法を繰り返しているものである。そんな程度の低いことをしていて恥ずかしくないのかと聞きたいものだ。また神谷氏はこんなことも言っていた。神谷氏は妻に、自分のように真に日本のための政治活動をしていると自分たちの子供が誘拐されるようなことが起こるかも知れない、もしそうなっても僕の政治活動を応援してくれるかと聞いたというのである。そうしたところ神谷氏の妻は、応援しますと答えたということであった。話しを作っているのでも、盛っているものでもないのはわかる。なぜならそれが日本の実情だからだ。日本と言う国は平和でお花畑のようにぼんやりとはしているが、そこまで悲壮な覚悟を持たなければ本当のことは言えないのである。ガーシーの暴露に通じるものがあるのではなかろうか。日本は本当のことを言えない、言ってはいけない国家なのだ。言う時は三島由紀夫のように自決覚悟でなければならないのだ。だから私は言うべきか、言わざるべきかをいつも迷っている。私はガーシーや神谷氏のようには根性も度胸もない男であることを認める必要があるということだ。    (吉川 玲)