龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

2023年終戦記念日の日に

なにゆえに恐ろしい。それが私の正直な感想である。特に終戦記念日の日には。私は迷っている。いつも迷っている。言うべきか、言わざるべきか。盆休みの最終日である終戦記念日を迎えて、昨日は元妻と今年、大学を卒業して就職したばかりの息子の3人で、元妻が予約した韓国料理の店で息子の近況を聞きながら久しぶりにたくさんの酒を飲みゆったりとした時間を過ごしたが、それ以外はどこにも行かず、特に何もすることもなく、台風の襲来もあったので家で時節柄、多く放映されている戦争映画の中の『硫黄島からの手紙』をアマゾンプライムで見て過ごした。戦争の悲惨さと言ってしまえば、たった一言のそれまでのことなのだが、本当に私は画面を正視できずに、目を背ける場面が何度となくあった。いい映画であった。映像が美しかったし、渡辺謙の演技は貫禄があって迫真に迫っていた。二宮和也はアイドルなのに、などと言ってはいけないのかも知れないが、役者としての才能の高さに驚きもした。二宮和也の自然な演技には、簡単には拭い取れないはずのアイドルの匂いがまったく感じられないことと、嫌味のなさが、役者としての資質の高さを証明しているように感じられた。クリントイーストウッドアメリカ人なのにどうしてこのような映画を作ることができたのであろうか。いや映画評などどうでもいい。ともかくも戦争なのである。言及することが途轍もなく恐ろしくて、言うか、言わぬか、迷わざるを得ない人間としての疑問である。戦争が恐ろしいのではなくて、いや戦争は充分過ぎるほどに恐ろしいが、思想や政治的な見解ではなく、また映画や舞台などの興行性としてでもなく、人間として、人類がどうして戦争という悲劇と遭遇しなければならないのか、なぜその災厄を回避することが出来ないのかを考えることが、そしてそれについて述べることが何よりも恐ろしいのである。私の言わんとしていることがおわかりであろうか。私はこの10日間ほどずっと迷い、悩んでいた。この世の絶対的な悪の正体が何なのかについて言うべきなのかどうかを。言うことが許されるのかどうかを。

それで終戦記念日の今日のことであるが、私は夕方、何気に疲れて布団に横になって眠ってしまったのである。それでこれまでに経験したことのないような異質で印象的な夢を見た。以下のような内容である。私が普段、仕事をしている事務所にある男がやってきて、私をどこかの場所に連れて行く。強制的に連行するというようなものではなくて、とてもフレンドリーな雰囲気で私も特に不安は覚えない。それでどこかの教室のような場所に到着して、私は席に着席する。壇上ではTVで見かけたことのあるような有名人らしき男が何かについて講義をしている。すると私をその場所に連れて来て、私の横に座った男が手で私の口元を塞いで、私が発言することを妨害しようとするのである。私は何も言おうとしていないにも関わらずである。それで私が驚いていると突如、場面が変わって次のような光景が映し出された。どこかの街中で人間が狩られて、その魂が屋外に設置されたモニターの中に処分されるかのように吸い取られていくのである。男であるとか女であるとか、或いは名前などの人間としての属性が剝ぎ取られながら。

そこで私は目を覚まして、しばらくぼんやりと考えてその夢の意味を悟ったのであった。笑いたい人は笑えばよい。所詮は夢の話しなのだから。私を教室の受講の場所に連れていった男は、宇宙人である。どういう性質の宇宙人なのかはわからないが、人間の姿をして私をある認識に導こうとしている。そして恐らくはこのように進言しているのだ。学ぶのは良い。学ぶことについては妨害しないし、協力もするがその内容について口にしてはならない。なぜならそれは人類全体の運命に関わることなのだから。ということで私は宇宙人からのテレパシーでその夢を見せられたのかも知れない。何の根拠も確信もないけれど私は思うのである。私を緩やかに監視する者とは、内閣情報調査室などの政府系の役人や、公安などの警察組織などではなくて宇宙人である。それ以上のことは何も言えないし、言うつもりもない。言ってはならない。言うなということであれば、私はその指示に従うつもりである。私は黙ります。何か言ったところで私個人には、何の利益も栄誉も安心ももたらしてはくれないのだから。人類全体の平和と幸福を心から祈りながら、宇宙人の指示に従って、私は沈黙を守ることにします。言い過ぎたのであれば、妄想の戯言だとお許しいただきたい。アーメン。

 

吉川 玲