龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

映画『永遠の0』について

映画『永遠の0』を見てきた。見るつもりは、なかったんだけどね。2年ほど前に百田尚樹氏の原作を読んでいて、改めて映像で見たいとも思わなかったのだけれど、どうも呼ばれてしまったようだ。「誰に」とまでは言わないけれど。私は、それほど外出する方ではないのだけれど、この2カ月ほどだろうか、出掛ける先で、私の耳に『永遠の0』の話しが、飛び込んできたのであった。まあそれだけ巷で話題になっているということなのかも知れないが、それにしても頻度が多過ぎたのである。ヒットはしているにしても、いくら何でも、そこまで世の中全体を席巻している訳ではないであろうに、と。1回や2回なら無視するが、4回や5回もそういうことが重なると、(わかった、わかった。見りゃいいんだろ、見りゃ。)と説得されたような気に一人で勝手になって、見てきたという訳である。それで感想を述べさせてもらうと、率直に言って、見て良かった。映画は一部の良い映画とそれ以外に区分されるという映画観を私は持っているが、さらに付け加えて言うならば、良かろうが悪かろうが、とにかく見るべき映画があるとするならば、それがこの映画だと私は思ったものである。(だからこそ、呼ばれたのであろうが。)私の身体は正直で、つまらない退屈な映画を見ていると、2時間に満たない長さでも頻尿を発症してトイレに行きたくて仕様がないのである。酷い時には2回、トイレに立つこともある。ところが、『永遠の0』は2時間半の長さにも関わらず、まったく尿意を催さなかったし、退屈にも感じなかった。特にゼロ戦の戦闘シーンの特撮が良かったな。臨場感があって何よりも劇場で映画を見る事の喜びがそこにはあった。それらのシーンを見ているだけで私は何となく幸福ですらあった。原作の感動どころも、過剰な演出にならないように、それなりに忠実に押さえられていて、おしつけがましい嫌味が感じられないところも好感が持てた。エンドロールで、この映画の制作に朝日新聞社の名前が入っている事が、少し意外な気もしたが、まあ、朝日は朝日なりにいろいろと考えるところもあるのであろう。元々あの新聞社は、どうしようもなくひねくれている割には、時代の変化に目敏いというか、はしこい所があるからな。その辺が同じ左翼でも、澱んで悪臭を放っているだけの毎日新聞との違いではあるが。こういう映画を評して、特攻隊の美化に過ぎないとか、社会全体の右傾化が進んでいることの現れであるなどと下らないことを言わないだけの進歩が朝日新聞社内にあったのか、なかったのかその辺はよくわからない。あるいはこの映画の主人公の宮部久蔵という男が、日本海軍切っての卓越したゼロ戦操縦の腕前を持ちながら、仲間内から臆病と罵られるほどに生に執着し、愛する妻と娘の元に生きて帰還することだけを考えて空中戦の乱戦を避けて生き延びてきたのに、終戦間近になって特攻隊に召集され、死ななければならなくなった運命と生きざまが朝日新聞論説委員に多数決の結果、支持されたのではないかとも想像される。しかし、どうであろうか。これは原作を読んだ時にも感じたことであるが、この宮部久蔵の思想が、ちょっとよくわからないところがある。国家主義者でないことは明らかであるのだが、反国家主義者という訳でもなくて、人道主義者のように考えられもするが、そうではなくて普遍的な人類愛とは無関係に、家族愛のためだけに執念を燃やす男のようでもある。ちょっと厳しい事を言わせていただければ、宮部久蔵は立派な人間として描かれているが、また確かに立派な人間であるが、これと言ったはっきりした思想は持ち得ていないのである。これは原作者の百田尚樹氏にも恐らく、通じる所があるのであろう。百田氏は作家としてデビューする前は朝日放送の『探偵ナイトスクープ』と言う番組の脚本家であったらしいが、どういう内容の番組かと言えば、視聴者から寄せられる素朴な疑問に番組内のタレントが現場を取材して、面白おかしく調査しつつ紹介してゆくというものである。ところがこの番組の企画内容は、知る人は知っているのであろうが、ほとんど全てやらせであるらしい。投稿者も素人であることは稀で、ほとんどはどこかの劇団の人間などが使われていると聞いたことがある。百田氏は、そういう番組の脚本を長年、作っていた人なので、大衆心理のつぼとか機微には極めて鋭い嗅覚のようなものを持っているのであろうが、基本的に思想性と言うものはほとんどないのではないかと私は思うものである。嫌な言い方ではあるが、小説『永遠の0』の大ヒットもそういう所と関係があると思うし、朝日新聞的な目敏さの質も同類であろう。要するに儲かればそれで良いのであろうが、そういう私も単純なので少しは感動もしたが、現実には戦時中における宮部久蔵の思想なき思想は、行動原理としては成り立たないと思うのである。ということで何かに「呼ばれて」映画を見に行ったのに、白けさせるようなことを言って申し訳ないが、それが私の性分であるから仕方ない。しかし繰り返すが、日本人であるなら見るべき映画であるとは思う。少なくとも退屈ではなかった。