龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

生きること、書くこと 131


政治資金規正法上の政治家の不正と、メディアがそのような不正を追及する論理の合理性や問題点につい

て前回、書いたものである。その後、自分なりに考えを進めてみて、一部考えが変わったところもあるの

で、改めて整理して見ることにした。

鳩山首相の母が所有するビルを鳩山氏が関連する政治団体が相場の5分の1以下の10万円の賃料で借り

ており、相場との差額を寄付として収支報告書に記載されていないことが一部報道で疑惑として論じられ

ている。

不動産だとわかりにくい部分があるので、仮に“車”を例として考えて見たい。政党もしくは政治家が、

政治活動に使うために定価200万円の新車を購入するとする。一般的には新車を買う時にメーカーの言

い値で買う“お人好し”の人間はいない。当然、交渉して値引きしてもらうことになる。それで30万円

値引いた価格の170万円が“相場”だということが出来よう。しかし政治家は立場的に値引きを要求し

にくいであろうし、世の中にはその常識的な値引きである30万円を利益供与であると看做す人もいるか

も知れない。一般的には役所が業者から物品を購入する時には、10万円以上の取引の場合は相見積もり

を取らなければならないとか、入札にしなければならない等の規定があるが、政治資金規正法の条文には

そのような文言が見られない。党によって党則としての内部規定があるのかも知れないが、そのあたりの

詳しい事情はわからない。販売する側にとって見れば定価で買ってくれる客は無条件に、良い客である。

それでもし全ての政治家が定価でしか物を買えないとなると、日本の政治はとんでもなく高コスト体質の

ものとなる。悪質な業者だとそのような政治家の足下に付け込んで220万円で売りつける可能性もあ

る。そうなると国民の税金である政党助成金が効率的に運用されているとは言えないし、それこそ鳩山氏

や麻生氏のような大資産家の人間でなければ政治の世界に参入できないことになってしまって甚だ問題で

ある。

それでは170万円の相場価格で買っておいて、一応念のために定価との差額分の30万円を“寄付”と

して収支報告書に記載しなければならないとすれば、それもおかしな話である。そもそも販売業者の方に

も寄付した意識は皆目ないであろうからである。しかしである。仮にある政治家が定価200万円の新車

を70万円で購入しているのであれば、これは明らかにおかしい。業者が原価を下回った価格で販売する

わけがないのだから、常識的に何か裏があると考えるのは当然である。但しその場合は、差額の130万

円を寄付として処理すれば済む問題ではないはずだ。賄賂の疑惑として報道されなければならないし、当

局が捜査しなければならない事案となる。

ここまでは比較的、わかりやすい話しであると思われる。微妙なのは、“貸与”の場合である。政治家の

支持者か、友人が、「お前が議員バッジを持っている間は、この車を無償で貸してやるから政治活動に使

え。選挙で負けて議員でなくなった時点で返してくれ。」というケースは、前回説明したように“使用貸

借契約”であって“寄付”があったと認定するのは明らかにおかしいと思われる。仮に貸主が月々1万円

のレンタル料をもらっている場合でも、その1万円が高いか安いかは当事者間のいわば合意事項であっ

て、相場に比べて不当に安いから相場との差額分を“寄付”として収支報告書に記載しろとは言えないは

ずである。それらの見返りに何らかの便宜供与があるのであれば、その便宜供与との関連において副次的

に状況証拠とされる程度のものであるはずである。

ここまでは前回、書いた通りである。しかし、その車を借りたのではなく贈与されたのであれば、所有権

が移動しているのであるから当然、時価に見積もった金額を記載しなければならないということになる。

よって政治資金規正法が定義する、“金銭以外の財産上の利益”たる寄付とは、所有権の移動が伴う贈与

のことであって、貸借関係を含めるべきでないのは寄付という言葉の字義から考えても当たり前のことで

ある。

私は前回、政治資金規正法の法律はその条文を作成した政治家か司法官僚の考えが足りない欠陥法律であ

るために、国民が多大なる迷惑を被っていると軽々しく書いてしまったが、法律そのものには矛盾はない

と思われるのでその部分については撤回させていただく。法律の条文に対する基本的な理解力が不足して

いた。偉そうなことをあれこれと書いたが、私自身が新聞記事に誘導されているところがあった結果、安

易に法律の欠陥へと結びつけてしまったことは修行不足であったと反省している次第である。

無償であれ、有償であれ、所有権の移動が伴わない貸借契約を時価に照らして差額部分を寄付と看做す新

聞の論調が土台、間違っているか、強引過ぎるのである。はっきり言うと10月6日付け朝日新聞朝刊の

社説「鳩山献金疑惑」である。読売新聞は、政治家への無償貸与について寄付とされる可能性がある、と

の多少控えめな表現であったが全体の論調としては同じようなものであった。もちろん、仮に政治家とメ

ディアが裁判で争う事態となれば、無償貸与が寄付と看做される可能性があることは事実である。最近の

裁判には“ひねくれた”裁判官による、おかしな判決が多いし、見識のある裁判官であっても無償貸与が

実質的に寄付と同様であると判断されれば、収支報告に記載がないことは違法であるとされることであろ

う。しかし一般の法理論で考えれば、貸与が寄付だという理屈には無理があるし、そもそも新聞社の人間

は裁判官では有り得ないのだから飛躍した一方的な論理で大衆を誘導することは倫理的に問題があると言

えるのではないのか。

一般の人々は政治家が対象となる政治資金規正法について、そこまで深く掘り下げて考えることはない。

なぜなら自分たちとは無関係だと思っているからである。しかし、本当に無関係だろうか。“政治家”と

いうカテゴリーが別の対象や状況に変われば、これは全ての国民が陥れられる危険性のある“冤罪”の典

型的なパターンではないか。非常に重要なことなので何度でも繰り返し述べたいが、冤罪の発生しやすい

社会的土壌は新聞やTVなどのメディアが作るのである。

もう一つ述べれば、一部の政治家がメディアと結託して意図的な方向性のもとに情報をリークしたり、都

合が悪くなってくると終息させるような水面下の動きがあるのではないかと危惧されるものである。新聞

社やTV局は高度な倫理や社会性を錦の御旗として、保護される業界であることを自ら主張し続けてきた

ものであるが、実体はかなり暗黒に近い様相が潜んでいるのではないのか。水は低きに流れるとは言う

が、我々国民生活が汚染された情報とも言うべき誘導や洗脳で破壊されないような防御網を何らかの形で

構築する必要性に迫られているように思われる。今こそメディアの業界再編や法制度の改革を政治的に見

直す時期にあるのではないのか。

我々、下流域に生息する住民の元には時に色々な物が流れ込んでくる。素敵なプレゼントとは言えないよ

うな“物”がである。