生きること、書くこと 148
早いもので年が明けてもうすぐ1週間である。このペースでいくと、今年の目標を思い定める頃には来年
になっているかも知れない。近年の温暖化の影響で極点付近の氷が融解していることによって地球の比重
バランスが崩れているのであろうか。地球の自転速度が知らぬ間に増しているのだ。道理で一年の長さが
年々短く感じられる訳だ。
年を重ねるごとに誰もが感じることだとは思うが、ある一定の年齢を超えると年齢数が増えてゆくのに反
比例して人生が引き算になってゆく。死を基点として、あと何年生きられるであろうかと考えるようにな
る。子供のころには人生の時間は、大海の水滴の如く無尽蔵にあるのだと考えていた。いくら浪費しても
なくならないものであった。ところが大人になって死を意識する年齢になると、ブラックホールに吸い込
まれるように時間の経過が早くなってゆく。
私は今年で47歳になるが人生の折り返し点をとうの昔に通過し、引き算のカウントダウンが始まってい
る。寿命だけではなく、日常生活を見渡しても増えるものより減るものの方が日々、多くなっていくであ
ろう。体力や記憶力は減退し、視力も衰え、黒髪や頭髪そのものが減ってゆくであろう。元々さして持っ
ていない預金残高も尚一層、減ってゆくのであろうか。
新年早々、話しが暗すぎると苛立ちを感じられる方もいるかも知れないが、そうではないと私は思う。新
年を迎え、年を取るということは本来“そういうこと”ではないのか。人間、自然の流れには逆らえな
い。死にまで至る、引き算としての減少、減退の意味を感得し得ないことには生命力の本質が見えてこな
い。反対に言えば、減少や減退を直視することが新たな生命力を育む源泉となるのである。これは一個人
の問題ではなく、日本という国にとっても言えることだと思う。国家と言うものは人間を離れては有り得
ない。日本がいつまでも不景気から脱し得ないのであれば、それは日本人一人一人の考え方や感じ方が間
接的にそのような国を作っているからであろう。政治家のせいばかりにもしていられない。GDPや人口
が減ったり、借金が増えたり、子供たちの学力や体力が落ちること自体は当然に憂うべきことであり、望
ましいことではない。しかし老子ではないが弱者の強さと言うものは、全ての虚飾を剥ぎ取ったところに
ある道なき道の道理に生かされている宇宙論理であると思う。日本は今やこれまでの虚飾を捨て去り、新
たな生命力を得るための試練に立たされている。それは“強者の弱さ”から“弱者の強さ”へと質的転換
するための道であると私は思うのだ。
一面において現実とは幻影としての道である。