龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

独自路線への道

ともかく、今回の中国漁船問題における日本政府の対応は、大きく日本の威信と国益を損なった。元々、菅直人という政治家は“事なかれ”主義なのだ。
自らの地位の保身と延命しか考えられないから、恫喝されるとすぐに揺らいでしまう。相手が中国であろうとアメリカであろうと、日本国内の官僚機構であっても同じだ。信念のない総理大臣が困難に直面すると、国家の礎石を排除してまで自己防衛に走ろうとするから必然的に国が傾くことになる。これは日本国民にとって悲劇以外の何物でもない。
フジタの社員4人が中国当局に拘束されたことは、中国漁船船長逮捕の報復であることは誰が考えても明白だ。スパイ容疑で死刑になる可能性を考慮すれば、超法規的に船長を釈放する決定そのものは人道的な政治判断として否定することは出来ない。しかし明らかな不法行為を日本の領海内で犯した漁船船長を釈放させるために、中国政府がいきなり人質のように4人もの邦人を拘束した行為そのものが国家犯罪であると言える。そのような強行手段に対して、日本は中国に対しても国際社会に向けても断固とした批判の声明を出さなければならなかった。ところが日本は地方検察の判断として船長を釈放し、中国の不法行為の責任も日本の法律もうやむやにして、愚かにも事態を収拾しようとした。その結果、中国は日本に謝罪と賠償を要求することになり、フジタの社員4人が未だ釈放されていない。こんな馬鹿な話しがあるか。
最低、最悪でも、中国人船長と邦人4名は政治的取引で同時釈放されなければならないはずであった。フジタの社員たちが何らスパイ行為をしていなかったことは明らかだから、そのような取引を受け入れること自体、本来許されるべきではないはずだが、邦人4名の生命の危険があるのであれば止むを得ない。中国政府もそのつもり(交換条件として船長を釈放させる)で邦人4名を拘束しているのだから、水面下でなすべき交渉がなされていればフジタ社員もすでに釈放されていたであろう。謝罪や賠償を要求されることもなかった。菅総理の事なかれ主義と稚拙な楽観見通しが、このような危機を日本にもたらしたのである。仙石と菅の政治的責任が免れないものであることは当然である。
マスコミにも責任はある。既得権益を守るために、事なかれ主義の菅を担ぎ上げてきた結果が正にこれだ。ここまで菅内閣を世論誘導で強引に作ってきた当事者はマスコミではないか。私は9月1日の「政治とメディア」と題する記事の中で、菅直人オバマ大統領と並んでいる映像を見ると何かしら不吉で落ち着かない気分に襲われる、と書いたが私がその時に感じていた嫌な予感は、今回の漁船事件の予兆だったのかも知れない。既得権益層のご都合主義で、事なかれ主義の総理大臣を作り上げるからこのような国難に遭遇することになるのだ。これは天が日本国民に学ぶべき国家的道理を指し示すために、引き起こした事件であるとも見れる。
いずれにせよ今回の事件で中国がいかなる国か、多くの大衆ははっきりと理解できたことであろう。間違っても中国は我々日本人が友好的に付き合うべき国ではない。共産党一党独裁の政治と民主的な社会システムとは、もともと親和性が低いのである。金儲けの論理だけで戦略的互恵だなどと言っていると、この先何度でも同様の紛争が生じるであろう。アメリカが中国に接近しようと、そんなことは日本には何の関係もない。日本政府は日本国民の生命の安全を守るためにも、今回の事件を契機に中国と距離を置く政策に転換しなければならない。北朝鮮であれ中国であれ一旦、邦人が相手国領土内に政治的理由で不当に拘束されてしまえば、日本政府は取り返す術を持たないのであるから当然である。中国は平気でそういうことをする国である。また些細な犯罪理由で死刑執行することに躊躇のない国である。何でそのような国と交流しなければならないのか。日本政府はこの先永遠に、日中友好という言葉を封印していただきたい。中国への投資案件も徐々に引き上げてゆくべきだ。アメリカが中国と仲良くしたいのであれば勝手にすればよい。
日本は、日本が生き残るために他国に依存しない独自の道を模索すべき時である。主体的な国体が確立されてこそ、健全な国際関係が生じるのである。