龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

馬鹿の所信表明

“国際社会は安全保障でも経済でも「歴史の分水嶺」とも呼ぶべき変化に直面している。国民一人ひとりが自分の問題としてとらえ、国民全体で考える主体的で能動的な外交を展開せねばならない。その際、国を開き、世界の活力を積極的に取り込み、グローバルな課題に貢献するのが不可欠だ。”
この所信表明演説の原稿は一体誰が書いたのかしらないが、書いた当人ですら夢現(ゆめうつつ)の自動書記状態であったのかと疑われるほどの抽象的な内容である。安全保障や経済が歴史の分水嶺に直面しているというが、具体的に何を意味しているのか、あまりに表現が大雑把すぎてさっぱりわからない。そもそも菅自身が具体的なイメージと確固とした認識を持って発言しているのであろうか。
“国民一人ひとりが自分の問題としてとらえ”ることは、確かに国民が問題意識を高めなければ政治は変わり得ないという意味で正論であるが、それ以前にいやしくも総理大臣としての責任を自覚した菅個人の明確な信条と意志がまったく伝わってこないから、責任転嫁のようにしか聞こえてこない。民主党の代表選においても“411人の政治主導”などと民主主義の基本を大切にしているようなことを訴えていたが、どうも言葉に軽薄感があるというか胡散臭いのである。それよりも“国民全体で考える主体的で能動的な外交”とは一体、何やねん。さすがにここまでくると、もうお手上げである。菅は“本物”の馬鹿ではないのか。外交のあり方、問題点を国民全体で考えるということにはそれなりに意味は通るが、“主体的で能動的な外交”は、国民全体で知恵を絞って実現させる性質のものではないだろう。それが総理大臣の言うべきセリフか。
“人民の人民による人民のための政治”などというメッセージは、強力なリーダーシップが大前提になって初めて生きてくる言葉である。自らの無能さをごまかすために国民を仲間に引き入れないでいただきたい。
“国を開き”って、いつの時代の話しだ。もうすでに充分すぎるほど開いてるじゃないか。日本は鎖国しているわけではないぞ。“世界の活力”とか“グローバルな課題”って一体何や。意味不明の言葉を駄菓子屋の陳列棚のごとく並び立てるなよ。情けないわ。ああ、それにしても“友愛”が懐かしい。個人的には“無能”よりも“友愛”の方がまだ愛せる。