龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

ああ、宗教

メメント・モリ(死を想え)の意義と、効用について述べたいと思うのだが、私の悪い癖で、何か一つのテーマで書き進めようとすると、そのテーマに付随する別のことがらが触発されたように鬱憤と言おうか、腹立たしい感情を伴って胸に去来し、本筋のテーマのことがどうでもよくなってしまう。
死の世界は、言うまでもなく本来、宗教の領域である。私は多分に宗教的な傾向を有する人間であるが、その一方で、宗教団体については概して昔から嫌悪感を抱いている。なぜかと言うと、とても一口では言い切れないが、たとえば今回の東北大震災について見ても、各企業は多額の募金や寄付活動をしている。ソフトバンク孫正義氏のように巨額の私財を投ずるだけでなく、日本のエネルギー政策にまで危機感を持ち、率先して転換しようと努力する人物がいるにも関わらず、宗教界のそのような働きかけは、私が知らないだけなのか、寡聞にして聞こえてこない。しかし日本で一番、金を持っている組織は実は、宗教団体なのである。確かに大企業の内部留保な莫大な金額である。大銀行のようにバブルの後始末で公的資金を投入されながら、兆円単位の内部留保を有している企業もあるが、基本的には、法人税を支払った上で、社員の退職金や将来の設備投資などのために溜め込んでいる正当性のある金であるといえる。ところが宗教団体は、税金を払っていない。信者や信徒に給料を払っているわけでもない。むしろ信者の不幸や不安に付け込んで、金を毟り取っているだけである。個々の宗教団体の教義までは知らないが、どうせ死後の幸福とか、来世の栄光を約束しながら、教団に金を貢がせているのは目に見えている。そのような無税の金が、大企業の内部留保に相当するほどまでに膨らんでいる日本の宗教団体は、どんなに少なく見積もっても片手の指に収まらないであろう。正確なデータはわからないが、日本の遊休未利用地の30%程度が宗教団体名義になっているとの記事を読んだ記憶がある。被災者が住む場所を確保するために、宗教団体が所有する土地が、その人の信仰に関係なく提供されても良さそうなものだと私は思うのだが、なぜそうならない。もちろん多額の金や広大な土地を拠出さえすれば偉い、というものでないという理屈はよくわかるが、こと金満宗教に限って言えば、そういう言い訳は許されないはずだ。
彼らの考えていることは手に取るようにわかる。下手に寄付行為などすれば、少なくてもケチだと非難されるし、多すぎれば世間に宗教団体が腐るほどの金を持っていることが発覚して、非常に都合が悪いということである。だから黙って何もせずにやり過ごそうとしている。こういうのを、“触らぬ神に祟りなし”というのである、覚えておけ。はっきり言うが、今の日本の宗教団体など腐り切っている。そこに何の心もない。そういう宗教を信じている人々が気の毒だ。教祖の言うことなど信用せずに、何で自分の頭で考えようとしないのか、私には理解できない。永遠の謎だ。
震災復興財源に消費税を上げると言うのであれば、先ず宗教団体に課税すべきだ。なぜなら一部の宗教団体が、日本社会の一番の強者であり、支配層となっているからである。今の日本の政治家には何を言っても同じだと思うけどね。
彼らは必死で権力にしがみ付いているけれど、結局は皆、何かの家来に過ぎない。メメント・モリ、以前の問題だ。