龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

マスコミ問題の象徴

静かな家庭内不和が発生している。といっても人間のことではない。我が家では、新聞を読売と朝日の2紙、購読しているが、その2紙が反目しながら緊張感を湛えつつ、重ねて折りたたまれることをいやがっている。仕方なく状況に配慮して、読売と朝日は分別して整理し、古紙回収に出すことにしている。両紙間の摩擦で夜中に新聞紙が熱を持って燃え上がり、火事にでもなれば大変だからだ。反目といっても対等に喧嘩しているわけではなさそうだ。ガキ大将のような尊大な態度で威張っているのは読売新聞で、虎の尾を踏む報道をしてしまったことに戸惑い、これ以上読売を刺激するのは得策ではないと、事態を収束させようとしているのが朝日新聞だ。この件に関して言えば、品位を保てていないのは明らかに読売の方だ。原因は巨人軍選手の契約金が、ルールに反して高すぎるという朝日の記事内容であったが、そもそもの発端は渡辺会長と元巨人軍代表、清武氏とのコーチ人事を巡る内輪揉めであったはずだ。その内輪揉めが読売グループと清武氏の訴訟にまで発展し、今回の内部文書流出騒動では窃盗で刑事告訴まで視野に入れると息巻いている。別に私は仲裁するつもりも、煽るつもりもないが、両紙を購読している客観的に公平な立場からこの問題に関していささか言及させていただくことにする。
馬鹿げてはいるが、先ず法律的に“窃盗”が成り立つかどうかということについて検証することにしよう。渡辺会長は内部文書の違法な流出で、窃盗に相当すると激怒しているようだが、果たして万が一にもそういうことになるであろうか。清武氏が巨人軍の代表であった時期に、選手個々の具体的な契約金について知り得る立場にあったことは当然だと思われるが、その契約金が多額過ぎるゆえ、社会的な問題を孕んでいるから告発したとしてそれがなぜ、窃盗になるのか私には理解できない。もし清武氏が契約金額について意図的に嘘をついているのであれば、巨人軍に対する名誉毀損になるであろうが、真実を述べているのであれば、それを窃盗と非難することは、かなり頓珍漢な感覚である。何を血迷っているのか。大新聞社がこんな程度で日本の言論は大丈夫なのであろうか。
仮に読売が主張することに道理があるとすれば、これまでに散々問題になった食品業界における賞味期限改ざんや、産地偽装などの内部告発も全て、窃盗ということになるはずだ。読売新聞もこれらの問題を何度となく社会正義の観点から報道してきたではないか。それなら、読売新聞は窃盗に加担していたということにはならないのか。賞味期限の改ざんや産地偽装は重大なコンプライアンス違反で、契約金の超過は目安に過ぎないから問題にならないとの見解はあくまでも巨人軍及び読売グループの主張に過ぎない。百歩譲って、産地偽装が犯罪行為で契約金超過がルール違反にすら該当しないとしても、情報の内部告発が窃盗になるかどうかはまったく別問題、別事案である。渡辺会長の理屈が正しいのであれば、極端に言えば人の金を盗んだ時に、その金が真面目に働いて得られた綺麗な金なら犯罪行為になり、詐欺や賄賂などの不正行為で入手した汚い金の場合には英雄的行為として賞賛されることになる。そんな馬鹿な話しはない。綺麗な金であろうが、汚い金であろうが、窃盗は窃盗である。新聞社は公共性という名のもとに情報発信者として絶対的強者の立場で不正を暴くことによってたくさんの企業を倒産に追い込み、経営者を犯罪者として社会的に抹殺してきた。それが自社に都合の悪いことを誰かに公開された途端に窃盗で告発というのでは調子が良すぎるという以上に、民主主義に刃向かう危険な独裁であると言えるのではないのか。もちろん批判に対して一定の弁明する権利は新聞社を初めマスコミ業界にも他業界、他企業と同等にあるとは言える。しかしターゲットに選定した企業や人の疑惑告発の場合は、ほとんど相手方に弁明する機会も与えずに一方的な批判を紙面または放送で垂れ流すだけであるのに、批判の矛先が自社に向かった時には冷静に弁明するだけならまだしも、紙面を通じて告発者を窃盗者呼ばわりすることはかなり問題が大きいのではなかろうか。性質、レベル的に宗教新聞と何ら変わらないではないか。またプロ野球などは元々、人気商売に過ぎないのだから選手契約金の超過が問題になるか、ならないかを最終的に決定するのは“世間”の感覚である。ところが読売の報道姿勢は、世間の動向や意向をまったく無視して、善悪を決める権限は自社にあると考えているように見受けられる。この読売の傲然たる態度は、マスコミ問題の本質であると言えるのではないのか。朝日になど、これ以上読売に立ち向かう元気がないことはわかっている。しかし我々国民はこの事態をもっと深刻に受け止めなければならない。このような状況を国民が放置しているから、マスコミはいつまでも当たり前のように疑惑情報などの報道を利用して都合のよい政治介入、大衆操作しようとする姿勢を改めないのだ。昨今の政治の大連立や、消費税、TPPなど皆、根底は同じだ。もちろんこれは読売だけの問題ではない。マスコミ全体の問題だ。しかし私の個人的な意見を言えば、プロ野球に巨人軍がなくなってもプロ野球人気が今以上に衰えるとは思えないし、読売新聞や読売テレビが日本から消滅すれば社会に強力な歪みをもたらす磁場がなくなって日本は自律的に健全な民主主義社会に向かって歩み始めるのではないかとも思えるのである。いつまでもマスコミに統治者のように偉そうにさせてはならない。彼らは何か、勘違いをしているのである。