龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

TVを消して、本を読もう。

どうも世の中の流れについていけない。
別に私は、流れに乗ろうとも、流れを塞き止めようとも、流れの進路を変えようとも思わないが、岸辺に座ってただぼんやりと川を眺めているだけである。いろんな雑多な物が流れてくる。
俳優の何某が、フジTVの韓流を批判したことが原因で所属事務所を退社することになったことは知っているが、いつからフジTVはタレントから批判が出るほど韓流偏向の番組構成になっていたのであろうか。実は私は韓流ドラマを一度も見たことがないし、K-POPについても何度かTVでたまたま見かけた程度でまったくの無知である。尤も私は先月にも触れた通り、日本の『AKB48』ですらロシア製の拳銃のことだと考えていた位だから、韓流について無知なのは当然である。自慢するつもりも卑下するつもりもないが、本当に私は世俗に疎い人間である。しかし“AKB48”について弁解すれば、今、私は、ドン・ウィンズロウの『犬の力』(角川文庫)を読んでいるところであるが、マフィアの抗争にロシア製拳銃である“AK47”の名称が出ていたので私の思い違いは真っ当な言語感覚によるものであったと我が意を得たりと一人で勝手に得心している。
ともかく、これだけネット上で韓流批判の反響が大きいことから考えれば、フジTV局そのものが韓流文化に占拠されてしまった状態になってしまっているのだろうか。TVでドラマや歌番組を見ない私にはよくわからない。仮にそうであれば、業界内部の一役者から批判の声が上がることも心情とすればわからないではない。しかし元々フジ・サンケイグループは保守的な論壇で、韓国に対して少なくとも過剰な友好ムードを演出する方向性はなかったはずである。
私が想像するに、恐らくそこに政治的な意図はないであろう。単に日本国内のネタ不足と言うのか、文化のダイナミズムが枯渇していると見るべきか、従来のやり方では数字が取れなくなってきているのであろう。そこにたまたまフジTVが文化輸入のような形で、手っ取り早く韓流のドラマや音楽を垂れ流して一時しのぎをしようとしているだけではないのか。そんなものに腹を立てたところで、どうしようもないではないか。そこにあるのは、需要と供給の関係ならぬ欠落と補充の摂理だけである。タレントの誰かさんが宣ふ通り、「見たくなければ、見なければよい。」という理屈の方が、筋が通っているように私には思える。何も有害なものを放送している訳ではないのだから、一定数の見る人間がいる限り局は韓流を流し続けるであろう。全ては金儲けのために、ただそれだけの事である。
何て言うのか、怒りの矛先が間違っているように私には感じられる。歌やドラマなど端から無視すれば良いのである。もっと日本という国家の根幹に位置すべき怒るべき対象が、他にあるのではないのか。大衆が国家の根本に目を向けずに、歌やドラマの番組編成に怒りを発散させるとすればそこにあるものこそ、強者の弱者に対する誘導と洗脳に他ならないのだ。要するに下らないTV番組を見ているとどうしようもなく馬鹿になるということだ。馬鹿にならないためにTVを消して、まともな本を読むことにしよう。それが自分のためであり、国のためにもなる。