龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

詐欺の政治

子や孫の代まで膨大な国の借金を引き継がせてはならないというフレーズが、増税推進の決まり文句のように使われる。野田新首相も民主党代表選前にその決まり文句を引用し、財政再建を引き伸ばすことを詐欺政治だとまで言っていた。確かに子や孫という言葉が出てくると、そこには道徳的に否定してはいけない空気が立ち込める。しかし我々国民がよく認識しなければならない事実がある。騙されてはならないのだ。
もちろん国の財政は健全化に向かうように最善の努力をしなければならない。税収が40兆円程度しかないのに90兆円もの予算を組むことを漫然と、毎年度繰り返していれば、日本が財政的に行き詰ってしまうことは必然であろう。しかし国家財政というものは、個人の家計や企業の財務とは根本的に異なるのである。個人や企業は借金が返済できる目処がなくなれば、強制的に破産させられて清算の対象となるが、国はそこに国民が住んでいる限り当然のことではあるが清算したり解散したりは出来ない。ではどうなるかと言えば、信用不安が際限なく増していくだけのことだ。信用不安とは国家主権の重要な要素である通貨発行との関連で考察されなければならない。最終的に国が借金を償還するためにじゃぶじゃぶと通貨を発行するようになると超インフレ状態になって、貨幣や国債の信用価値が限りなく0に近付いてゆく。本来、国家の財政破綻とはこういう状態を指して言うものである。ところがここ数年来の円は、超円高水準で推移してきている。円が高いと言うことは、円が国際的に信用され評価が高いから買われているということなのだ。国債に関しては、欧米の格付け機関が日本の政治に圧力をかけるように評価を下げているが、日本の国債アメリカ国債のように同盟国に半強制的に押し付けて買わせているものではない。保有者の分布で言えば、海外所有は6%ほどしかないのである。民間銀行、保険会社、年金基金、個人で80%を越えているのだ。よって国内で責任を持って発行し償還し続けてきているものを海外から政治的に内政干渉される筋合いはないと言える性質のものなのだ。ここで我々は、それではなぜ日本の財政が外形的には借金まみれであるのに、円がこれほどまでに強いのかについてその本質をよく考えなければならない。先ず第一にわかりやすい点から言えば、為替は相対的に決定される指標であるという単純な原理であって要するにアメリカ政府が日本とは比較にならないほどの潜在的な借金を抱えていることから、海外の投機家筋がドルを怖がって“安全な円”に逃避させようとする力学が常に働いていることにある。それではどうして円が比較的安全な通貨だと目されるのか、重要なのはこの点にこそある。おわかりだろうか。それは日本の政治や官僚機構が世界的に優れているからではないのだ。むしろ反対で、これまで日本の政治や官僚の統治が出鱈目に無茶苦茶なことばかりやり続けてきたから、1000兆円にも至る借金となっているのだ。しかし日本の市井の民は元来、権力者とは違って真面目で堅実なのである。戦後こつこつと良質な物を作り、それを地道に売り続けて日々富を形成してきたのだ。その富が現在、総額1400兆円もの個人金融資産となって国内に蓄積されているのである。よって日本の資産状況は全体的に俯瞰すれば、1000兆円もの借金を抱えていて景気も極めて悪いにも関わらず、トータルすれば未だに黒字なのである。だからこそ円が買い続けられるのだ。つまり日本の財政を底辺で支えている要因は、良質なモラルの“国民生活”にこそあると言えるのだ。国民生活こそ第一であるとのスローガンは殊の他、奥が深いのである。ところがこの10年ぐらいで、その国民生活の質が徹底的に切り崩されてきている。国内は空洞化し若者には仕事がない。自殺者の数は年間3万人を超えており、国民一人当たりの自殺率は世界で第2位である。生活が荒んで親が子供を殺す凄惨な事件が増加している。このような状況下で野田首相増税するというのだから正気の沙汰ではない。まさに寝たきりの重病人の首を絞めようとするかのふるまいである。子や孫の代のために借金を縮小させるなどと道徳的な言うのであれば、先ずあなた方の諸先輩方の失政を国民生活に転嫁する前に、あなた方自身が身を持ってその痛みを引き受けるべきではないのか。財政再建を先送りにすることが詐欺の政治だと言うのなら、無駄の根源である官僚機構と官僚利権に本格的にメスを入れようとしないことは詐欺ではないのか。民主党がやったことと言えば、仕分けなどと称して、おざなり且つパフォーマンス的に学術分野などでちょこちょこと、「1位ではなく、2位では駄目なんですか。」などのくだらない流行語を生み出した程度ではないか。国民を馬鹿にするのもいい加減にしていただきたい。
何度も繰り返すが、順序が全てなのである。底が抜けたバケツ(国庫)に水を注いでも(増税しても)、水が溜まる(財政が健全化する)訳がないではないか。これは小学生でも理解できる物理的な事実である。底なしバケツのごく一部を指摘すれば、公務員の給与、退職金が高すぎる。地方公務員であれば60歳での退職金平均が約2700万円で、局長クラスだと年収1000万円以上退職金3500万円という数字は民間の大企業に比べれば特に多いということはないのかも知れないが、現在の疲弊した地方の状況及び全国の中小企業から見れば天国のような待遇と言えるであろう。これが中央のキャリア官僚となれば、年収で言えば30歳平均で約600万円、40歳課長レベルで約1000万円となる。官僚トップの事務次官の年収は約2400万円である。因みに先の原子力シンポジウムやらせ問題で、時の海江田経産相に更迭された3官僚の退職金は、松永和夫事務次官が約7500万円、寺坂信昭原子力安全・保安院長と細野哲弘資源エネルギー長長官が共に約6700万円とされている。まさに底の抜けたバケツだ。国の見解とすれば、これ位出さなければ優秀な人材が集まらないという理屈になるのかも知れないが、果たしてそれだけの仕事をしていると言えるのか。寧ろ地方分権を強力に推し進めれば、これらほとんどの支出が削減されると同時に、国民生活と国民精神の双方が活力と健全性を取り戻すことになるのではないのか。そのように考えれば、野田氏やマスコミが主張する消費税増税は、高級官僚の待遇レベルを維持するためにこそ必要だということがおわかりになるであろう。さて詐欺の政治はどっちだ。