龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

消費税増税は誰のため

消費税増税とか社会保障などと言う前に、今のシステムで本当に国の財政が再建に向かえるのどうかをよく考える必要がある。“税と社会保障の一体改革”というキャッチフレーズや、“このままでは日本もいずれギリシャのように破綻する”、などの言辞は、単に大衆に増税を受け入れさせるための洗脳工作に過ぎないもので、国民が財政問題の本質を理解することを妨げるミスリードであると思えてならない。『体制維新―大阪都』(文春新書)で橋下徹氏が、大阪府知事時代の財政再建について“臨時財政対策債(臨財債)”のことについて説明していた。地方分権財政問題の本質を理解する上で非常に重要だと思われるので、ここに紹介させていただくことにする。臨財債とは何かと言えば、地方が国から地方交付税を受けていることは誰もが知っていることだと思われるが、我々は一般にその交付がキャッシュで行われていると考えているが、実はそうではない。国も財政難であることから、地方に渡すはずのお金を各自治体に地方債を発行させて調達させ、その借金返済分をあとで国が手当てをするという形をとっているのである。そしてこの借金を臨財債と呼ぶのだが、2010年までの臨財債累計は大阪市が3800億円、大阪府が1兆1000億円にまで膨れ上がっているのだという。橋下氏は知事に就任後、大胆な賃金カットや無駄な外郭団体を潰すなどの徹底した行政改革財政再建を進めた結果、それまで10年間連続して赤字であった大阪府の財政を知事就任後2年目にして黒字に転換させた。しかし橋下氏と対立していた平松邦夫大阪市長はこの見掛け上の借金である臨財債についての理解がなかったために、「府は単年度では黒字になっても、全体の借金は増えている、だから府の財政再建はうまくいってない」と批判していたとのことである。橋下氏は自ら減らすことのできる借金を減らしても、国から無理やり押し付けられる借金だけはどうしようもない、また国は地方に対して将来も面倒を見るとはいうものの、将来とはいつまでなのか、いつになったら全額返済できるのか当てがまったくない、とんでもない制度だ、と嘆き、批判していたが、確かにその通りで首長としての心情は察するに余りある。橋下氏は同書において、府知事時代の4年間に、大阪府がコントロールできないこの臨財債を除けば、府債を5577億円返済し、その上でそれまで大阪府の貯金は10億円もなかったところ、2010年には800億円ほどの貯金ができた、とも述べている。橋下氏はまたこの臨財債のシステムを、国と地方の財政に破綻をもたらす元凶だと批判しているが、私の個人的な感想を言えば、元凶であると同時に地方交付税のシステムそのものが形骸化してしまっているではないか。交付というよりも実際的には地方に借金させて、国がその保証をする形になっている。面倒は見る、とは言っても国の借金に連動するように地方の借金も増えていくだけのことである。これは二重行政ならぬ、二重借金だ。これでは地方は国への依存から脱け出せないばかりでなく、地方が足元の地方財政を健全化させようとするモチベーションが根こそぎにされてしまうではないか。ここにおいて消費税増税の問題を考える時に、政財界の増税推進派や、大手新聞社を代表とするマスコミは、国の財政がそれだけ逼迫しているということだから直ちに増税すべきだという論拠になるのであろうが、果たしてそうであろうか。現実には地方に借金させているだけであるのに、あたかも国が地方に分配しているかのように見せる形式、つまり従来の国税の一括徴収、再分配の方法を堅持することに一体“何の意味”があるのだろうか。またそのやり方で本当に国の財政再建が可能なのか、地方に活性化の芽があるのか。私が思うに、仮に将来的に消費税を増税するのであれば、地方税収として地方財源に直結させるべきである。国の財政というブラックホールを経由してしまうとその金の出口の一つである地方交付税は今と同様に臨財債の借金が増えていくだけであろうし、社会保障地方交付税がそのような状態にあるのに常識的に考えて今以上に充実する訳がない。それでは消費税5%に相当する税収増分はどこに消えていくのかと聞かれても私にはわからない。だからこそブラックホールなのだ。恐らくは外貨積立金の為替差損の穴埋めとかそんなところではないのか。財務省は外為特会における運用失敗の責任を政治家を操って国民に負担を転嫁させようとしているだけの可能性は大いにある。とにかく民主党自民党内の消費増税の必要性を強く訴える政治家は、マスコミも含め、本気で国の財政再建を考えているかとなるとかなり疑わしい。それは橋下氏に対する彼らの組織的な態度によく現れている。橋下氏は確かに一般の有権者の中においても毛嫌いする人は多い。しかし、それは漠としたイメージによる部分が大きいのだと思われる。たとえば生意気そうだとか、そういうことである。そういう私自身、全面的に橋下氏を支持している訳ではないが、それは彼が時としてカジノ構想などの突拍子もないことを言うからであるが、しかし全体的に見れば4年間の知事就任期間に大阪の財政を破綻寸前からこれだけ好転させた手腕は客観的に見て高く評価されるべきである。日産を再生させたカルロス・ゴーン並ではないか。発言が問題視されることは多いが、橋下氏の改革能力について私は、評価と言う以上に国民栄誉賞を授与してもいいくらいであると考えるものである。政治家としての資質においても日本の中で見れば、塵くずに埋もれた純金の輝きの如き貴重性はあると思う。それをである。昨年11月27日における大阪府、市の2重行政を解消するために出馬した大阪市長選挙において民主党自民党も橋下氏を支持しなかったではないか。支持しないというより民主と自民は連合して潰しにかかった。そこに共産党までもが橋下の独裁を許さないなどと、民主・自民連合に連携して独自候補を取り下げるなどの異様な事態となったことは未だ記憶に新しいところであろう。自民党共産党はともかく、政権与党の民主党が本気で日本の財政再建を望んでいるのであれば、大阪府という一地方の財政であれ、これだけの手腕を発揮した人物を、応援しない理由がないではないか。使い古しのティッシュペーパーのような塵芥が、純金の足を引っ張って一体何になるのか。今、民主党がやろうとしている消費税増税において公務員の人件費削減を国民にアピールするために、時限立法で2年間だけ平均7.8%引き下げてその後は元に戻すとか、平成25年度の国家公務員の新規採用数を56%削減するというような、一時的な目眩ませの政策は、政策としての評価以前に、人道的に問題があるのではないかと思えるほどの酷い内容である。特に若者から職の機会を奪って、既得権益者に阿るような方法を考え付く政治家は日本の政治史においても最低、最悪の品格の持ち主であると断言できよう。さて、良識と心ある皆さんには冷静によく考えていただきたいものだ。民主党の消費税増税法案は本当は一体、誰のためになされようとしているのかを。我々の日々の生活は、使い捨てのティッシュのような汚い政治に支配されなければならないほどの値打ちしかないのだろうか。