龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

唯一の希望

電気料金を9%上げて、消費税も10%に増税して、今の景気で一部の富裕層はともかく圧倒的多数の庶民は生活が成り立つのであろうか。もう政治の希望は、大阪維新の会だけになってしまった。橋下大阪市長が、大阪都構想の実現だけでなく、消費税を争点にして次期選挙で国政進出を目指すと言ってくれているのが唯一の救いである。私は橋下氏が主張する通り、地方交付税を廃止して、消費税を全て地方財源にするのであれば消費税の10%は合理性があると考える。想像していただきたい。今、ここに1億円の金があって、1人の人間にその金の管理が任されているとする。その1億円は公共の金で、無駄や不正がないように管理者はきちんと管理、運用する責任を負っている。当然、その管理者は自らの才覚で出来るだけ正しく、効率的に運用しようとするであろうが、結果は思わしいものではなく、1億円の手持ちの金と同額の1億円の借金が出来てしまった。そしてその借金の額はまだまだ増えていきそうな気配であり、手持ちの現金は目減りしていく一方だ。この喩えが意味するところが、現在の日本の財政状態であることはおわかりであろう。1人の管理者とは中央集権体制の中枢組織である財務省である。それなら、今後とも絶対権力者であるただ一人の管理者が、1億円の金を運用し続けて、事態が好転することが有り得るであろうか。誰が想像してもわかることだと思うが、それは有り得ないことなのだ。管理者は、どれほど高度の倫理観を自負しようとも、結局のところは自分の都合でしか差配できないから、盲点になっていたり意図的に見捨てられた領域は必ず出てくることになる。あるいは単に一人、一つの思想、メソッドでの運用に限界があると言えるかも知れない。それならどうすれば良いだろうか。答えは簡単だ。1億円の金を50人に200万円ずつ分配して、その50人の管理者に金と権限を共に委譲すればよいのである。もちろん、このような方法を採択したからといって、50人全ての管理者が優秀な成績をあげるわけではないであろうが、少なくとも管理者全員が自らのテリトリーの実状に合った運用を心がけるであろうことは火を見るより明らかである。これが地方分権のあるべき姿だ。必然的に盲点はなくなり、無駄も効率の悪さも改善していかざるを得なくなる。なぜなら住民の監視の目が近くなるだけに、これまでの国の政治がやってきたような(今もやり続けているが)、インチキが通用しなくなるからだ。それでは国は何をすればよいのかと言えば、50人の管理者と50区分された金の調整や集計、マネジメントである。国はそれだけをやっていれば、よいのだ。その方が中・長期的に見れば必ず、日本の財政は健全化へと向かうであろう。もちろん国にしかできないこともある。反対に言えば、地方に金と権限を委譲すれば国が成すべきことがはっきりとするのである。それはたとえば外交であったり、為替や公定歩合などの金融行政ということになるのであろう。国は国にしかできないことのみに専念して、地方は国から自立して世界の熾烈な都市間競争に勝ち残ってゆく環境、制度を自ら設計してゆくべきである。橋下氏が目指している政治は、私が理解するところ、このような考えに基づいているものである。特に日本の最も大きな問題は、外交交渉の欠落というか形骸化というべきか、グローバリゼーションなどと盛んに喧伝するわりには、実質的には鎖国時代とほとんど変わらない内容のように思われる。鎖国と異なる点は、世界の情報だけはふんだんに入ってくるので、その情報が孕んでいる風向きや無言の圧力にはきわめて敏感に反応するところであろう。しかし本来の外交とはもっと能動的に国益を有利に創りだすための対人的なコミュニケーションが土台になっているのであって、他の国が当たり前のようにやっている国際的なロビイング活動などがどうして日本には出来ないのであろうか。韓国の国際政治などは、ほとんどロビイングだけで成り立っているようなものではないか。日本には外交がないからこそ、野田総理のように消費税などの内政に政治生命を掛けて権勢を国民に示さなければならないことになり、官僚は官僚でアメリカの意向を忖度することばかりに終始することとなる。対等な日米関係と言っても、日米関係の深化と言っても、所詮は外交がないから言葉だけのことで、まったくナンセンスである。日本の総理大臣か側近の者が、仮にひと月に1回でもホワイトハウスに赴いて、きちんとしたコミュニケーションが取れていれば、アメリカという国の考えている真意が理解できるようにもなるであろうし、不要な忖度は必要なくなるのである。それが対等な日米関係にせよ、日米関係の深化にせよ踏み出すべき第一歩ではないのか。日本の政治はやるべきことをやっていないからこそ、つまりは怠慢ゆえに、日本の国がどんどんとおかしくなっていっているのである。橋下氏の改革手腕には、外交面に不安や弱点があるなどと言って、維新の会の国政進出を警戒する人もいるようだが、今の政治がそもそも外交能力など皆無であるのに(金をばらまくことしか出来ないのに)、よくもそんなことが言えるものだな、と思う。橋下氏は、国は国にしか出来ないこと、つまり外交に専念すべきだと主張しているのであるから、その認識能力だけで現在の全国会議員の能力を計数化して合算した数値よりも、価値があると言えるのではないのか。一応、老婆心で忠告させていただくが、橋下氏のやろうとしていること(国の政治の形を変えること)はご当人も十二分に理解しているであろうが、そんなに生易しいものではない。民主党自民党も正体は同じで“既得権益党”である。マスコミも基本的には“既得権益応援団”である。大阪の既得権益や二重行政と戦うだけで、ほとんど戦争状態であったのに、これが日本全体となると本当に決死の覚悟が必要となるであろう。だからこそ我々国民が声を上げて、橋下氏を守ってやらなければならないということだ。