龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

デフレの恐怖

本当に気の毒だとしか言いようがない。焼肉チェーン店「焼肉酒家えびす」の集団食中毒事件で14歳の少年が入院後、半年間も意識不明の状態が続いた後に亡くなった。我々部外者はともすれば忘れてしまいそうになるが、少年は事件を風化させないようにこれまで生命のともし火を燃やし続けてきたのだと思うと申し訳ない気持ちにもなる。
私がこの事件から感じる感想を一言で言い表せば、それは“デフレの恐怖”だ。確かにデフレは収入が目減りしても物価が安いので、質素倹約を心がければ何とか生活できる利点がある。しかし各企業はその安さを出すために、当然にコストを切り詰めることとなる。コストとは原材料費だけではない。人件費や安全性を確保するための手間や注意など全てが圧縮されるコストに含まれることとなる。もちろん飲食店が食中毒を出せば、営業停止処分や廃業に追い込まれることは端からわかっていることであるから、安全性だけは絶対的に確保されているものと信じたいところではあるが、デフレが極限まで進行すると必ずこのような事件が不可避的に発生するということであろう。
デフレの恐怖は食の安全だけではない。一例を挙げれば、私は飛行機に不安を感じる。はっきり言って日本の航空会社は今、儲かっていない。新幹線や航空会社間の過酷な過当競争に晒されている業界であることは間違いない。日常的にダンピング価格で運航していて本当に安全性が保証されているのであろうか。私自身は飛行機を利用することがほとんどないが、こういうこともある。今年の夏、8月後半に元妻が元妻の妹と、双方の子供合わせて4人で沖縄に旅行に行った。元妻には一つ年下の妹がいて、どちらにも誕生日が1ヶ月ほどしか離れていない男の子供(現在小5)がいるのでよく会ったり、たまに旅行に行ったりしている。旅行の話しを元妻から聞いた時に、正直なところ私は心配で“やめとけ”と言いたい気持ちであった。離婚していても私が親権者なので、立場的に言えないこともない。しかし現実的には言えない。事故が心配だから飛行機に乗るなと言うことは、社会通念的には、理由もなく日常生活を制約しているのと同じだからだ。そんなことを言っても、物笑いの種になるだけである。だから事故がないようにと祈るしかなかった。心配性の私は、行きと帰りの運航日に飛行機事故の報道が出ないか何度となくネットを覗き見したものだった。幸い私の不安は杞憂に終わり、息子らは無事に帰ってきてくれた。しかし9月6日(奇しくもこの日は息子の誕生日)に元妻らが沖縄旅行に利用した航空会社である全日空機の、那覇発羽田行き140便が飛行中にトラブルを起こして、ほぼ背面飛行の状態になっていたことが事故後、3週間も経った9月28日に公表された。自分で言うのも何だが私の事前に危険を察知する能力は、世間一般はもとより政府や監督官庁よりはるかに優れているということであろう。ところでこの事故について国土交通省安全委員会は、機長がトイレから操縦室に戻る際に、操縦席に座っていた副操縦士がドアスイッチと誤って方向舵調整スイッチを作動させてしまったことが機体を傾けさせてしまった原因だと説明していたようであるが、私はこの説明について国土交通省全日空と口裏を合わせて本当の事故原因を隠蔽している可能性が高いと見ている。断言はできないが、いくら何でもドアスイッチと方向舵調整スイッチを押し間違えるなんて、そんな馬鹿なことは有り得ないだろう。通常の安全運行が疑われかねない、もっと根本的なトラブルが原因だったのではないのか。真実を公表すれば航空業界と国民生活に多大なる支障を来たすとの判断から、国土交通省が問題を有耶無耶にしようと嘘をついているとは考えられないだろうか。仮にもしそうであれば、近い将来大変な飛行機事故につながりかねないであろう。大事故が発生する前には、その予兆となる何かが起こることが多い。今回の背面飛行が大事故の予兆でないことを祈りたいものだ。
とにかく食中毒であれ何であれ、現在の極端なデフレ経済は、我々一般市民の生命の危険性までもがコスト削減に大きく貢献しているのだということを決して忘れてはならない。行過ぎたデフレとは価格の安い商品、サービスと共に生命リスクまでもが隠蔽され、切り売りされる社会構造であるとも言える。感覚の研ぎ澄まされた人間でなければ生き残れない世の中である。そして今の世の中で最も危機管理の感覚が鈍い人種が、政治家であるということだ。利権や選挙のことばかり考えているから、肝心な部分がどうしても鈍感になるのだ。
死んでゆくのはいつも罪のない善良な一市民である。