龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

ああ、天声人語

世の中には奇特な人がいるもので、文章力向上のためか何か知らないが、朝日新聞の『天声人語』を書き写すことが、ちょっとしたブームになっているようで、そのための専用ノートが大変なヒット商品になっているとのことである。人様の趣味、嗜好にけちを付けたくないが、何と言おうか、呆れて物も言えないとは正にこのことで、そんなことをして一体何の意味があるのだろうか。そりゃあ、自作の文章を多くの人に書き写されている筆者は、至って気分が良かろうが、それに確かに如何にも尤もらしい文章を書く力は付くのかも知れないが、何かを表現するということは、そういうものではないであろう。たとえ下手でも、論理的な整合性のない支離滅裂な文章であっても(程度にもよるが)、とにかく自分の考えを、自分が選択した、自分なりの言葉で表現することに価値があるのではなかろうか。そこにおいてこそ等身大の自分自身が存在するのであって、他人の書いたものを日々、書き写したところでその筆者の思考回路をトレースするだけであって、とどのつまりは洗脳されるだけではないのか。こういうことを言うと新聞社の人間は、たちまち気分を害するであろうが、新聞と言う媒体の目的が啓蒙という名の洗脳であることは否定しようのない事実である訳で、何も考えずに、日々せっせと功徳を積むが如く『天声人語』を書き写す人間が多く存在するという傾向は、正直に言って、私の生理感覚的には大変に不気味である。但し、誤解のないように言っておくが、私は何も『天声人語』そのものを批判しているわけではない。仮に、何かの新聞の何かの記事を毎日、書き写さなければ死刑になるという法律でもあれば、私も已む無く天声人語を選択するかも知れないが、そういう極めて特殊な状況でもない限り、私は他人の書いた文章(詩や小説や般若心経なら別であるが、政治的なメッセージ性を孕んだ内容のもの)を書き写そうという気には、絶対にならない。こう言っては何だが、大衆とは本当に悲しい生き物である。しかし悲しい大衆は、身近な所にもいる。・・・それは、元妻である。
息子が4月から6年生になるので、もっと気合いを入れて勉強させなければならないということで、これまで通っていた個人経営の塾を止めて、よりレベルの高い大手進学塾に通わせることになった。それで入塾の手続きに3人で行くことになり、元妻と息子が住むマンションに立ち寄った昨日の日曜日のことである。最近は高校の入試で論文を書かされるので、息子にもっと国語の読解と作文能力を付けさせなければならないということで、そのマンションでは朝日新聞を取っているのだが、元妻は何を思ったのか、毎日、息子と一緒に天声人語を音読すると言い出したのだ。それで私に「どう思う?」と聞くのだが、どう、思うと言われても、本心ではあまりいい気はしないのだが、確かに塾とか学校とか大企業というものは、朝日の天声人語だけではないが、大新聞の論調というものに対して親和性が高いと言うか、友好的なのである。それに対して、新聞の啓蒙的な文章は洗脳だからやめとけとは、親としては、何となく言い難い。元妻とは当然であるが、所詮、息子の人生も私の人生とは異なるのである。息子は息子で、この先、社会に適合して生きてゆかなければならないのだ。それに11歳の子供に新聞記事内容についての批判能力など持ち得る訳がないのだし、やがて大人になって時には批判すべき対象の文章を通過していくという観点から見れば、母子で天声人語を音読するのも悪くはないのかな、と思った。真面目に続ければ、確かに漢字の知識や語彙は豊かになって、息子の国語の成績は飛躍的に上がるかも知れない。それで私は、「どうせやるんやったら、毎日、欠かさずにやらなあかんで。」と言ってやった。すると早速、元妻は、その日の朝刊を持ってきて息子の横に並んで座り、「ほな、読むで。」と言って息子にも音読を促した。ところが息子はソファでルービック・キューブを弄くりながら、横から覗き見するだけで、声を出して読もうとしない。それで、仕方なく元妻は一人で読み始めたのだが、ここからが傑作である。本当は身内の恥を晒したくはないのだが、あまりに面白かったので、皆さんにもご紹介させていただくことにする。その日の天声人語には近日公開の映画『はやぶさ 遥かなる帰還』のことが書かれていた。息子は、“はやぶさ”を知っているが、元妻は知らないのである。元妻は、読むのを途中で止めて、「はやぶさって何?」と聞いてくる。息子は面倒くさそうに答えないので、炬燵に入って寝そべっていた私が、「ロケットで打ち上げられた探査機や。何年も掛けて、何十億キロも旅して奇跡的に地球に戻ってきたんや。」と説明した。すると元妻は、「ふーん。何しに行ってたん?」とまた素朴な質問をしてくる。それで私が「何しにって、探査やから、どこかの惑星の何かを持ち帰ってきたんやろ。」と説明した。元妻はしばらく黙っていたが、また「何、持ってきたん?」と聞くから、私も答えるのが面倒になってきて、「土壌か、何かやろ。」と短く言うと、元妻は素っ頓狂な声を上げて、「どじょう、持ってきたん。」と驚いたのである。私は、「ちゃうがな、あほやな。そんなもん持って帰ってきたら、えらいことやないか。」と言って、息子と一緒に大笑いしたのであった。親がこの程度なら、息子には国語の学力を期待しない方がいいのかも知れないと半ば私は諦めたのであったが、まあ、人生とは生涯学習なのだから、元妻も息子と一緒に天声人語を音読しながら勉強し続けるのも良いであろう。私は遠慮させてもらうことにするが。しかし次回、はやぶさ2が宇宙に飛び立つ時には、もう地球に帰還してくれなくてもよいから、平気で嘘を付く日本のどじょう総理を、どこか数十億キロ離れた惑星に置き去りにしてきて欲しいものである。それが日本国民にとって、共通の悲願となるミッションではなかろうか。