龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

絶対的格差の風景

最近、読んだ記事で最も強い印象を受けたのが、週刊現代3月24日号に掲載されたノンフィクション作家、佐野眞一氏による『大王製紙 井川家三代の知られざる物語』第1回であった。創業家三代目の井川意高がカジノで散財した挙句、関連会社からの融資で穴埋めさせた放蕩息子ぶりは既に万人周知の事実であろうが、記事に書かれていた井川家の権勢ぶりというか、地元住民を睥睨するかの絶対君主のような畏怖は、個人的には井川意高一個人の不品行などより、よほど感ずるところが大きいものであった。大王製紙四国本社のある愛媛県四国中央市がどんな町かと言えば、記事によればJR予讃線の伊予駅前のアーケード商店街はゴーストタウンを連想させるようなただならぬさびれようで、昼間から洞窟のように暗く、歩いている人影はまったく見当たらないのだという。ところが対照的に大王製紙本社前の道路はトラックが激しく行き交い、活気に溢れていて、その本社と道一本隔てた場所にオーナー家としての睨みをきかせるように井川家本家の豪邸が建っているとのことである。大王製紙の工場は三交代勤務のシフトが組まれていて、煙突からは朝も昼も一日中もうもうと白い煙を吐き出している。その上、製紙工場特有の臭いも強烈なので迷惑施設に違いないはずなのに、地域住民は大王製紙から雇用をはじめ多大なる恩恵を蒙っているためにこれと言った苦情はほとんどないのだと言う。佐野眞一氏は当初、三代目のぼんぼん会長がギャンブル三昧の挙句、莫大な借金を作って逮捕されたことについて、地域住民は井川家一族の度を越した贅沢三昧による金満家ぶりから必然的に今回の事件が起こったのだと批判する声が大きいであろうと予想していたのであるが、実際に取材してみると大王製紙や井川家の悪口を言う住民はいなかったのである。それどころか、「私たちにとって大王製紙は、神様仏様井川様です。私は大王製紙の工場から出る煙を毎日拝んでいます」という年配の主婦まで現れる始末だったという。あるいは、四国中央市の住民は大王製紙の取材に際して、匿名が絶対条件だと何度も釘を刺すのだということだ。
“「煙の王国」は、いま北朝鮮並みの恐怖政治に支配され、“警戒警報”発令の厳戒体制が敷かれている。四国中央市では井川家に楯突くと、たちまち“村八分”にされる。”と書かれていた。
私はこの記事を読んで、一見意外のようでありながら、よく考えれば然もありなんとの印象を持ったものである。バカラ賭博に165億円もの金をつぎ込んでついに捕まったと聞けば、一般的には末代まで物笑いの種になると考えるが、地元の人間にとってはそうではないのである。確かにそうであろう。ゴーストタウンのような何もないような地方都市に売上げ4000億円の大企業が超然と鎮座しているのである。市も住民も完全にその一企業に依存しきっているであろうから、一族の者が道楽三昧の不祥事を起こしたぐらいでは、その地位はびくともしないと言おうか、間違っても悪口など言えないのである。公害というべき白煙に向かって住民が有り難そうに拝むとは、何と悲しい光景であろうか。しかしこれが日本の現実である。うら寂れた地方都市に1社か2社の大企業が王様のように君臨し、住民や自治体はその王様の家臣のようにひれ伏す。まるで中世の荘園領主と水呑百姓の関係ではないか。思えば民主党が2009年の選挙で政権を獲得したマニュフェストの原点は、こういう絶対的な格差を是正するために、日本の中央集権的な権力構造を再構築するところにあったはずである。ところがあっという間に変節してしまって、今やTPPや消費税増税など、様々な格差を解消するどころか、むしろ推進させる政治の急先鋒となってしまっている有様である。人間、極端な格差に晒され続けると、批判精神や批判能力も喪失するであろうし、そこには単に支配と被支配の関係性しか存在しない。民主党にはもう何を言っても無駄だ。大企業や役人のことしか考えられない精神構造になってしまっている。このままでは、間もなく四国中央市の光景は日本全国へと拡がって、誰も何も笑えなくなるであろう。