龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

選挙対策の憲法論議

マスコミもまた選挙モードに変化している。NHKのニュースウォッチ9が、竹島の問題を国民のナショナリズムに訴求させるかの取り上げ方をしている。日本政府の国際司法裁判所への提訴を検討などとは、茶番そのものである。なぜなら韓国政府が裁判に応じないことは端からわかっていることであり、領土問題の解決手段としては何の有効性もない検討であり、この時期にそのような発言が出てくることが選挙対策であることは歴然としている。そこにおいてNHKが政府の意向と足並みを揃えるように、竹島問題で国民感情を巧みに引き付けることによって、全体的な政治に対する世論を保守志向を強めさせる結果となることを導き出すための情報操作であると思われる。消費税増税はもう決まった話しであるから、国全体で国家主権の要である領土問題について真剣に討議をしましょう、という誘導である。そうなると自然と世論は、次の選挙で改革を求める気運が衰微し、民主、自民連立による安定政権を望むことにつながるとの計算があるのであろう。それと連動するように自民党民主党から、憲法9条改定の話しが持ち上がってくることになり、追随するマスコミが番組で特集することとなる。そういえば昨日のTVタックルでも憲法9条が取り上げられていた。こういう全体像が日本の茶番であるというか、インチキなのである。世論の対立軸をコントロールすることによって、既存の権力構造を変化させない防御壁にするとはこういうことである。そういう意味では、北朝鮮のような国も日本も程度の差はあれ、また日本の大衆操作の方がはるかに複雑で見え難いが、権力側の統治手法という観点から見れば同じような操作を行っていると言えるであろう。北朝鮮や韓国は、内政上の都合で日本を批判するが、日本だけは民主的に運営されている国だなどと安心してはいけない、ということだ。国民性などの性質が大きく異なっているから多くの人はそのように錯覚するのかも知れないが、基本的な原理の部分では権力の大衆統治にさほどの違いはないのである。そういうことが当たり前のように見抜けることが、現代人に要求される基本的な知性なのだと私は思うのだが、現実的には京都大学東京大学を出ているような頭の良い人間であっても、いやむしろそのようなエリートこそが現状の日本の本質的な問題点が見えていないように思われる。エリート路線に乗って、エスタブリッシュメントとしての意識が植え付けられる中で日本の権力構造に取り込まれてしまって、外側から物事の本質を見極める視点も喪失してしまっているのであろう。文科省の一元管理的な教育システムは、結局は従順で優秀な官僚を生み出すためのものでしかあり得ない、ということだ。憲法9条について言えば、私は時代の要請でもあるのだから改定するべきだとは思うが、選挙対策で利権政治を存続させるために目くらまし的に議論の俎上に上げられるべき性質のものではないと言いたい。今頃になって、自民党は結党当初から自主憲法の制定を主張していた、ようやく草案が完成したなどとは、正に噴飯ものである。野田総理が、あうんの呼吸で集団的自衛権の行使がどうのこうのと言及するのも猿芝居の一環に過ぎない。憲法9条の改定については私は賛成だが、国民の反対論も根強く多くあり、消費税のように談合政治で決められるものではないし、また決めるべきではないと思う。日本国憲法第96条では、各議員の総議員の3分の2以上の賛成で憲法改正案を発議し、国民投票において過半数の賛成を得ることが成立に至る手続きとなっているが、この手順では今の状況のように選挙対策として一時的に議論が盛んになることはあっても、選挙が終われば必ず尻すぼみになって立ち消えになることであろう。憲法9条改定は、国民の国家意識に深く関わるものであるのだから反対論も踏まえて、先ず発議のための国民投票が実施されるべきだと思われる。代議制民主制度であっても、必ずしも民意が政治に反映されているものではなく、むしろ離反しているケースが多い。消費税増税もその一例であるが、少なくとも憲法の改定にいたっては、国民の声そのものが端緒となるべきである。発議のための国民投票と、国会採決通過後の国民投票と2回実施すればよいのだ。