龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

文化の日に

文化の日の11月3日は、某寺で参拝を済ませた後、天神橋筋商店街を歩いて見ることにした。大阪で生まれ育っていながら、これまで特に用事もなかったこともあって見たのは初めてである。3年ほど前までは、離婚の調停や訴訟の件で商店街の最寄り駅である地下鉄、南森町駅に弁護士事務所に訪問するために、頻繁に来ていたのだが、弁護士との打合わせは平日の夜であるので覘き見たこともなかった。また当時は、たとえ時間があったとしても、親権や離婚条件や子供のことで頭が一杯であったのでゆっくりと街の風景を見学しようという気になどならなかった。それが、その日JR環状線天満駅で降りて、数十メートルほど歩く内にタイムスリップしたような感覚に捉われた。祝日の土曜日であったせいかも知れないが、やたらと人が多くて活気に満ちているのである。何かの行事や催し物がある訳でもないのに、商店街にこれだけ人が集まっている光景は意外という以上に、信じられない思いであった。古き良き時代の日本の原風景が、現代に蘇って再現されたかのように見えたのである。このような商店街が残っているとは本当に驚きである。お世辞を抜きにして、天神橋筋商店街は日本一の商店街なのであろう。それも一軒ごとの店々が歴史を感じさせる趣のある店、たとえば江戸時代から続いているような刃物店や最近、新しく開店したような飲食店まで新旧、様々の店が混在していて活力があり、歩き見ているだけでも飽きないのである。喫茶店なども雰囲気のある店が多く、全体として質的にもレベルが高いように見受けられた。小店舗販売の業態としてはもう既に成り立たないように思われていた、陶器や金物類などの店にも客が入っていて、しっかりとした商売をしているようであった。スポーツ用品店や和菓子屋、布団販売店、呉服屋、眼鏡店、どの店にも他の地域では当たり前の不景気による暗さが感じられなかった。私の思い過ごしかも知れないが、商店街を歩いている人々の顔までもが生き生きとして、どことなく幸福そうに見えるのである。途中で商店街を外れて、大阪天満宮に立ち寄る。ちょうどその日は、七五三の御祈祷が行われていて可愛い着物を身に付けた子供たちが見られた。私の息子もほんの少し前に七五三の祝いをしたつもりであるのに、もう12歳である。時の経つのは本当に早いものだと感慨に耽りながら、ふと、天神橋筋商店街の信じ難い活況はこの天満宮に祀られている菅原道真公の御神徳によるものではないか、などと考えた。そう言えば、商店街には古本屋が多く目についた。それも学問の神様の影響によるものであるのかも知れない。その日、私は安売りの衣料品店で千円の長袖ポロシャツ1枚と菅原道真公から店名が由来されていると思われる天牛書店という古書店で、『実存的自由の冒険 ニーチェからマルクスまで』(竹内芳郎著 現代思潮社)を100円で買って帰ったのであった。天牛書店はセンスの良い品揃えが豊富にされている素晴らしい店であったので、これからも機会があるごとに通いたいと思う。私が買った古本は所々に黒と赤で線が引かれていて、以前の持ち主はかなり丁寧に読み込んでいたであろうことが窺えた。早速、最初の部分のニーチェ論を40ページほど読んだのだが、ニーチェ哲学書を読む以上に難解であった。気付いてみると、その本の裏表紙には書き込みがなされていたのだが、その書き込み内容だけは私にもよく理解でき、また、まったく同感であるので紹介させていただくことにする。
他者の評価によってしか自己の存在空間を我見できない人間の言動・行動は、自己の存在空間を見出す為の他者の評価待ちであり、さらに他者の評価を得る為の他者を意識した他者に規制されたものでしかあり得ない!しかも、このペテン枸造(構造?)の他者への伝達は永遠に続くペテンであり、出口なしとならざるを得ない。かくて自己の主体性奪還の方法は如何に?
―1967.1.25―
ともかくも2012年の文化の日は、私にとってはそういう一日であったのである。時は流れゆく。私は自己の主体性奪還の方法とは、神の目を意識して生きゆくことであると考えている。