龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

タレント政治の限界

猪瀬知事の辞任は残念なことではあるが、止むを得ない。問題はその次である。多くの人も望むことではあると思うが、東京都の知事にそのまんまは、ご勘弁いただきたい。そのまんまは文字通り、そのまんま維新の会に残っていれば良かったものを、あそこまで節操なく、うろちょろするのは見苦しくてならない。宮崎県の知事をしている時にはまだ健気な可愛げがあったが、これでは少しでも陽の当たる場所を求めてあちこちと彷徨っているだけの芸能人根性丸出しである。願わくば、政治の世界から足を洗って、たけし軍団にでも戻っていただきたいものだ。しかし考えるだに恐ろしいことではあるが、そのまんまが調子に乗って知事選に立候補することとなると、他に有力な候補者がなければ知名度だけで当選する可能性がある。これだけは東京都民の健全な判断力に期待する以外にないものであるが、タレント政治の功罪というものについて、日本は真剣に考えるべきではないのか。確かにTVで見慣れた顔の人間が政治家になれば、それまで政治にまったく関心を持っていなかった若年の大衆層が政治に少しでも興味を持つ効果は期待できる。しかしタレントの本質というものは、メディアにおける露出度、注目度であり、それらの性質が正にそのまんま政治の世界に持ち込まれるのはいかがなものであろうか。結局は少しでも目立つような発言をしたり、陽の当たる居場所を求めてうろちょろするような政治にしかならないのではないのか。そういうパフォーマンスは、本来的な政治上の信念や政治生命を賭した行動とは相容れないものである。タレント出身ということでは橋下氏などについても共通して言えることであるが、橋下氏はそういう世間の注目度を政治利用して、メッセージ性を高める手法を取り続けてきたものであるが、今ではもうどこかで限界に来ているようにも感じられる。やはり政治というものは、たとえ地味で陽が当たらずとも、一つの理想や一つの居場所に骨を埋めるぐらいの覚悟でなければ、最終的には成功しないのではないかと考えられるものである。例えは悪いが、ナチス党ですら結党してから政権を獲得するまでに10年以上、掛かっているのである。やはりそれぐらいの時間と労力を注ぎ込まなければ、新しい政治というものは一つの形になり得ないのではないのか。そう言う意味では江田氏の立ち上げた新党も、個人的にはどうなのかと思う。どうせ1~2年で仲間割れして分裂するような新党なら、時間と金の無駄であり、国民にとっても何の利益になるものでもない。所詮、タレント政治とは、その時々においていかに目立ち、いかにその場限りの支持を獲得するかという目的だけのパフォーマンスであり、国を変えていく力や流れにはなり得ないものである。よって末端の国民レベルまで政治の成果を獲得しようと考えるのであれば、チャラチャラ、うろちょろするだけのタレント政治を我々は断固として拒否すべきである。よって東京都の知事にそのまんまは困る。共産党系の方がまだましだ。そのまんまが立候補するかどうかはわからないが、舛添要一氏あたりが適任だと私は思うのだが。打倒チャラチャラ政治だ。