龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

甲斐性なしの経済原理

忙しくて(本当はそれほどでもないけど)、中々ゆっくりと記事を書いている時間がない。特に先月3月後半は、消費税増税の駆け込みでモノが結構、動いた。しかしそれもよく考えれば不思議な現象である。なぜなら末端のエンドユーザーは消費税5%と8%で、3%分の正味の負担の違いがあるから、自動車などの耐久消費財や家のリフォームなどに駆け込み消費するのは、尤もなことではあるが、我々流通業者は、3月と4月の境目のどちらで買っても同じことの筈だからである。事業者は消費税では儲けられないようになっているのである。例えば分かりやすく言えば、事業者が100円で仕入れた物を200円で売るとする。消費税5%であれば、仕入れの消費税分5円と売上の消費税分10円の差額5円を預かり分として年末にまとめて国に納付することになる。仕入れと売上の消費税の差額分を事業者は、預かり分として支払わなければならない。これが8%になると、8円と16円の差額8円を納付することとなる。どちらも事業者の利益は100円で変わりない。それでは3月に100円で仕入れて、4月に200円で売ればどうなるかと言えば、仕入れの消費税分5円と、売上の消費税分16円の差額11円が納税分となるので、結局、利益相当分は100円で変わらないのである。しかし世間一般では、5%の消費税で仕入れて8%で売れば、その差額分3%が儲かるような錯覚があるから、エンドユーザーでない中間業者までもが駆け込みに仕入れて、運送業者は3月末頃には遅配が続出するような事態となっていたように推測されるものである。意外と日本の中小企業や個人商店の経営者は、自分で経理を見ていない人が多いからかも知れないが、数字に弱いようである。しかしそのような錯覚や思い込みで一時的にモノが動いたり、景況感が活性化するということが経済の実態であると言えるのかも知れない。政府も景気に好都合な商売人の思い込みを敢えて正そうとはしない。私は自分で経理もしていてそのあたりのことは、わかっているので、3月に余分に商品を仕入れたりするようなことは全くしなかった。それよりも年末に消費税が払えるかどうか、もう今から戦々恐々としている有様である。小心者のように思われるかも知れないが、経営者は金のことに関しては、臆病なぐらいで丁度よいのではなかろうか。因みに私は借金も嫌いである。零細企業なので大して自慢にはならないが、無借金経営である。貸借対照表損益計算書を持って馳せ参じ、銀行や国民金融公庫の融資担当者から「何で売上が落ちているのか」と聞かれることが、親に通知表を見せて「何で成績が落ちているのか」と責められているようであり、大人になってまでそんな惨めな気分に陥ることは何としても嫌なのである。何で売上が落ちているのかと聞かれても、世の中の景気が悪いからである。そうとしか答えようがない、というものだ。事業者の消費税納付については、世間一般では、預かり分だからは払えないはずがないという風に考えている人が多いようであるが、確かに計算上はそうなるのであるが、商売をしていると月々の固定費というものが発生する。家賃とか人件費とか光熱費などである。これらの費用は売上に関わらず、毎月きちんと支払っていかなければならないので、売上が損益分岐点から下回るとどうしても年末に支払うべき税金分が残らなくなってしまうこととなるのである。よって消費税が支払えない事業者は日本では非常に多いのである。経営者の金銭感覚がルーズなのではなく、消費税納付分が食い込んでいくような構造になっているのである。私はこういう性格なので、払うべきものは何でもすかさずに払おうとするし、売上を増やして儲けようとするよりも、借金をしたり資金繰りが行き詰まることを何としてでも避けようとする傾向が極めて強い。固定資産税の請求などは、毎年、届いたその日か翌日には一括で全納している。年末の消費税もすぐに払えば、子供の養育費も当たり前のことではあるが、毎月きちんと送金する。そして決して借金をしない(しないでいられる限りはであるが。いや、住宅ローンはあるがそれは別である。)金のことで余計な精神的負担が頭の中を占めることで、きちんと物事が考えられなくなったり、社会の真相を洞察する能力が衰えることが、私にとっては何よりも回避しなければならない状況なのである。唯一、はっきりしていることは私のようなタイプは、決して金持ちにはなれないであろうということである。私はわかっているつもりだ。多額の借金をして投資をし、四六時中、寝ても覚めても金儲けの事ばかりを考え続け、明日にも返済しなければならない借金の倍や10倍の儲けをどこまでも貪欲に追求し続ける人間の一部が大金持ちになるのである。そういう人間だけが金持ちになる資格があるのであって、私には端から無理である。そういうタイプではないのだ。だから金持ちになどなれなくてもよい。人生で金に代わる何か、精神的な価値を得られればそれで良いと考えている。しかし私のような人間は、政府や銀行や女性たちからは、あまり好ましく思われないようでもある。甲斐性がないという人もいる。甲斐性なしで結構だ。貧乏は嫌だけれど、精神的なゆとりが担保される程度の金があればそれで良いと考えている。だから今から、年末にきちんと消費税が払えるかどうかだけを心配して、後は何か別の思索に耽るのである。私は個人的には、資本主義経済には必要以上に貢献したくはない。