龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

お国柄の問題

韓国の旅客船セウォル号」の沈没事故についてであるが、被害者家族の憤りや怒りに配慮してのことであろうが、今頃になってお座なりにダイバーを船内に浸入させているが、ほとんど無意味であるとしか思えない。そもそも視界のまったく利かない、ぐちゃぐちゃになっている複雑な構造の船内にダイバーを奥深くまで浸入させることは、極めて危険である。いくら海軍の特殊救助隊であると言っても、そのような状況で効果的な捜索や救出活動を展開することは到底、無理であろう。ダイバーの命を危険に晒すことになるだけだと思われる。今更、こんなことを言っても仕様がないが、船内に取り残された人々の人命救助において、僅かな可能性にでも全力を賭けるのであれば、沈没当初に海面上に出ている船底部分にプラスチック爆弾を仕掛けて浸入のための穴を開けるべきであったのではないのか。もちろんリスクはある。下手をすると船体が全て水没してしまうことになるかも知れない。しかし軍であれば、出来るだけ全体の衝撃を抑えて、壁や障害物に必要程度の穴を開ける技術は持っているはずである。当然、1回の穴開けではどうにかなるものではなかろうが、何回にも亘って爆薬の量を調節しつつ、船内を掘り進むように部分的に解体させながら内部侵入を試みることは可能であったのではないのか。成功の可能性は低いかも知れないが、手をこまねいて見ているよりは余程、建設的である。そのように考えると、韓国政府は当初から本気で人命救出を考えていたのではなく、端から諦めていたようにも考えられる。自国でそれだけの技術がないのであれば、米国や日本に、救助要請すればよいものを、程度の低い人や国に限って体面を守ることだけは異常に固執するので困りものである。韓国だけの問題ではないが、韓国は特にそのような傾向が強いと見られるものである。また日本のマスコミは、どうせ韓国側から物見遊山で来ていると難癖をつけられるのが落ちであろうから、現地で取材したり、報道するのは控えた方が良い。韓国とは救いようもなくそういうお国柄なのだ。罪のない人間がどれほど犠牲になろうが、お国柄だけは永遠に変わらないものである。