龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

正義の角笛

たとえば性犯罪の厳罰化ということについてであるが、性犯罪のコアとなる強姦致死傷罪の量定刑を重く変更するということであれば、一般的には特に異論のない議論であるのかも知れない。しかしいわゆる性犯罪の中で強姦致死にまで至るケースはほんの一部である。調べてみるとどういう訳か、法務省の統計においても強姦致死と強姦致傷の区別がなされていないので、詳しいところはわからないが、恐らくは致死の件数が独立してカウントされるほど多くはないということではないかと思われる。もちろん強姦致死ではなく致傷であっても決して許されるべきでない犯罪であることには変わりない。しかし強姦の発生件数は、日本国内では減少傾向にある。警察庁の作成した資料によれば、直近10年間の強姦認知件数で見ると、平成14年2,357件、平成15年2,472件、平成16年2,176件、平成17年2,076件、平成18年1,948件、平成19年1,766件、平成20年1,582件、平成21年1,402件、平成22年1,289件、平成23年1,185件と平成14年と平成23年の比較で見ればほぼ半減している。強姦検挙件数においても平成14年が1,468件で、平成23年が993件なので約3分の2に減少していることになる。このような状況下において、性犯罪の厳罰化が何を意味し、またどのような方向性で意図されているかと考えるに、強姦致死傷罪という特定の犯罪と、再犯率の非常に高い、つまり限定された犯罪者層を対象とした政治判断であるとは考え難いものである。常識的には特定の犯罪が減少傾向にある時に、その犯罪の量刑を変更して厳罰化にするということは不自然であるし、また社会的コストとの兼ね合いから考えても妥当性を備えた方針であるかどうか疑問である。私は個人的には、朝日新聞出身の法務大臣など正直に言って、自民党であろうと何党であろうと信用し切れないところがある。そう簡単に信用するものではない。後になってから騙されたと嘆いても遅いのである。どういうことかと言えば、強姦致死傷罪の厳罰化などではなく、これまで法律の網に掛かってこなかったセクシャルな問題が、強権的に検挙されたり処罰される社会への移行が密かに意図されている可能性がある。周辺的な女性問題までもが性犯罪として法理的に再構築されるのではないかとの不安が拭えない。たとえばであるが、セクハラ発言などが痴漢と同じように現行犯で逮捕されたり、取り調べ拘留の後に起訴されたり罰金刑に処せられるというようなことが、「性犯罪の厳罰化」の一部に含まれているかも知れないということだ。朝日新聞出身の女性の思考回路など、そういうものであると看做した方が安全である。そこにある原理は、朝日新聞的なフェミニズム思想だけではなくて、権力機構にとって共通して言えることは、微罪を強く取り締まれる社会体制の方がいろいろな意味で都合が良いということなのである。そしてその原理にあっては政治とマスコミは、実は常に利点を共有しているので、現代社会においても非常に巧妙に、忍びやかなファシズム体制に移行してゆく指向性が垣間見られるものである。もちろん本当にセクハラが犯罪になされるかどうかはわからないが、それに近い状況が意図されているとの警戒心を持たなければならないと思う。いずれにせよ、私が声を大にして訴えたいことは、政治やマスコミの言う正義を額面通りに、素直に信じてはダメだということだ。政治もマスコミも、大雑把に言えば大衆を一つの型にはめ込むことしか考えていないものである。羊飼いが放牧されたたくさんの羊を、夕方になれば角笛を吹いて巧みに柵の中へ誘導するようなことを、政治とマスコミは一体となって国民という羊にどうすれば効果的になし得るかを常に企んでいるのだ。だから我々は正義という名の角笛の音色にそう簡単に騙されてはならないということなのだ。柵の内側と外側のどちらが安全であるかは別にしてだ。