龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

日本人を見捨てる日本の政治

韓国という国の権力は、日本に対して悪意があるだけで、機会があれば常に日本を利用したり、貶めようと企んでいる体質であると言える。そしてその悪辣な性質が、政府間の協議内容や様々な内政干渉だけでなく、我々一般の個人レベルの生命や名誉を毀損する段階にまで突き進んできているものと見れる。そのような国と果たして外交関係を改善する努力をする必要性があるのであろうか。明らかに日本政治の外交における無能ぶりがしわ寄せとなって、何の罪もない一個人にまで波及してきているのである。私が繰り返し述べているところの競泳冨田選手の窃盗事件や3年前の韓国ソウルにおける女子大生失踪事件は、確かに真相は不明であるので、人によって見方や考え方は異なるものであろう。しかし現実に日本人が韓国への旅行中にぼったくりや性犯罪の被害を受けてもほとんど報道されず、公に注意が喚起されない「事実」があるのだから、何か裏があると不審に思われても当然ではないのか。このような状況から我々権力とは無縁の人間が、どのような声を上げ、具体的に何ができるのか、是非とも皆様方にもお知恵をいただきたい思いである。
ここにおいて日本国内の問題の一つと考えられることを提起させていただきたい。まず最初に断っておかなければならないことは、ヘイトスピーチについての記事でも述べたことだが、私は国内の在日の人々に対する差別は、はっきりと反対である。今の時代は昔に比べれば在日の人々が就職や結婚などに際して差別されることは少なくなっているようであるが、それでもまったくないという訳でもないであろう。よって在日韓国人帰化した人が、日本社会の中で日本人の通名で生活することは、差別を防ぐための一つの選択肢として認める必要性はあると思う。しかしそれは一般人の場合である。さてこれが政治家の場合には、どのように考えるべきかということである。差別とは何かと言えば、学術的に見れば共同体の中枢権力から離れた位置づけにある人間が被るものである。日本には古代から差別はあった。その起源は定かではないが、奈良時代平安時代の昔から日本の権力の中心は天皇で、その中心から隔離した辺境の地域、身分に暮らす社会階層の人々が、賎民として差別されたのである。日本では現在においても天皇制は存続しているが、言うまでもなく天皇は日本の象徴であって、政治権力を有するものではない。日本の直接的な権力は議会にあって、国民から負託を受けて選任され、様々な権限を与えられている政治家が、権力を掌握する立場にあるものである。そのように新しい法律を作ったり、社会の公序良俗を守る権力に位置する側の人間が、自らの出生を詳らかにせず、日本人名の通名で活動するということは問題があるのではなかろうか。日本では外国人参政権が認められていないので、日本に帰化して日本人として議員活動をしている人々についての経歴の情報公開がなされるべきではないのかということである。資産公開などより余程、重要性が高いではないか。外国人参政権の問題一つを取って見ても、帰化して日本人の国籍を取得した人と生まれた時から生粋の日本人とでは、考え方や物の捉え方に違いがあって当然である。その違いの大元が国民に対する政治判断の情報として公開されていない現況はおかしいのではないのか。つまりはっきり言えば、冒頭で述べたような、冨田選手の窃盗事件や韓国ソウルにおける女子大生失踪事件などの真相を追求しようとする国内政治の動きが封じ込められている理由は、そのような帰化日本人の政治家が、表面的には日本の国益を慮る立場を装って、何だかんだと難癖をつけて妨害している要因が、全てではないにせよ大きいのではないかと考えられるということである。仮に私が在日の人間で、政治家を志すのであれば、たとえば自分の父親が日本人で、母親が韓国人という家庭環境に育ち、20歳までは日本と韓国と二重国籍であったが(或いは韓国籍であったが)、21歳になった時にこれこれこういう思いで日本の国籍を選択(帰化)することとなり、今このような考えの下に日本の政治家を志すことに相成ったものであると、はっきりと宣言することになると思う。その上で日本の外交のあり方とか憲法改正の是非とか、外国人参政権の問題などの意見を述べなければ、フェアではないし、はっきり言って卑怯ではないかと考えられるからだ。卑怯という言い方が言い過ぎだとしても、有権者に対する誠実さに欠けるということは言えるのではないのか。また権力を掌握する立場の政治家がそのような出生の秘密を堂々と宣言することによって、一般の在日の人々の地位も向上し、差別の根絶にもつながってゆくのではないのか。今の日本の政治は、その辺りがどうにも怪しげな気配の闇に覆われていて、陰謀論的な政治解釈が出来する(確かに陰謀は存在すると私は考えるが)原因になっていると見れるものである。これが芸能界であれば、芸能界は在日の人間が多いことで知られているが、在日という素性をカミングアウトしないことは、人気商売ゆえに仕方ない部分もあるとは思われる。しかし政治の世界はそうではないであろうと私は言いたいのだがどうであろうか。今の日本の政界は、情けないことにその中身というか精神性が、芸能界と同じではないか。単にチャラチャラしているだけの人気商売である。だからこそ芸能界から政界に転身しようとする、或いは芸能界から政界に引き抜かれる人間が引きも切らない有り様なのだと思われる。本質的に日本の政治はテキ屋の露天商と変わらないところがある。
ところで皆さんは、新井将敬という1998年に自殺した政治家を覚えておられるであろうか。大阪市出身で、橋下大阪市長と同じ出身高校である名門の大阪府立北野高校から東京大学に進み、卒業後大蔵官僚になって、30歳代の後半に政治家に転身した人物であり、いわば超エリート路線を歩んできた人物と言える。歯に衣着せぬ物言いで若手政治家の有望株としてメディアの注目も高かったように記憶している。ところが当時の政界と証券業界との癒着をめぐる一連の不祥事から、新井将敬氏も証券会社に損失補填をさせていたとかの疑惑で警察の捜査が動き始め、ついには国会で逮捕許諾請求が可決される直前に、確か東京品川のホテルで首を吊って自殺したものである。疑惑の渦中、新井氏が国会での質疑で唐突に、自分が在日出身の人間で日本に帰化した経歴のあることを明かした場面を私は今でも鮮明に覚えている。何でその場でそのようなことを告白する必要があったのか、或いは精神的に追い込まれたあまり、自らのハンディとなる経歴をぶちまけることで、手心を加えてもらえると考えたのだろうかと訝しく思ったものである。亡くなった人間の悪口はあまり言いたくないが、新井氏にしても自殺する直前でなければそのような出生の事実を公にしないような政治姿勢は、結局は自らの華々しい経歴に傷をつけたくないという利己的な動機しかなかったのであろうし、所詮はその程度の政治を追求していたものでしかなかったとも見れる。また日本の政界がそのような、つまり政治家が自らの出生を詳らかにしないで、表面的にスポットライトを浴びる華やかさだけを追求するが如き軽薄な風土であるなら、これは全体としてインチキの構図であり、要するにそのような腹の座っていないどこまでも打算的な政治土壌から、冒頭に述べたような日本人の生命や人権が毀損されている可能性のある疑惑まで政治家が漫然と見過ごすような堕落になっているのではないかと義憤の念に堪えないものである。政治とはそのようなものだと言ってしまえばそれまでだが、我々日本人は我が身を守っていかなければならないし、無辜の民が貶められているなら守っていかなければならないはずである。とにかく日本人が、日本の国益と日本人の生命、人権を守り抜く当たり前の政治環境というものを作ってゆかなければならない。その土台をあれやこれやと理由をつけて妨害するだけの勢力であるなら、朝日新聞のようなメディアであろうが、政党もしくは政治家であろうがその本性を見抜いて、断固として排除していかなければならない段階に日本は差し掛かっているのではないかと私は考えるものである。皆さんはどのようにお感じになられるであろうか。