龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

アトピー闘病記 2

脱ステの影響は、3~4日位経って現れてきた。ステロイドを主に塗っていた背中、肩、胸、腹などの上半身が、赤黒く変色して鬱血し、人間離れして新種の妖怪のように変身してしまった。しかし当初の私にはそれほどの悲壮感はなかった。楽観視していたというより、リバウンドの怖さがよくわかっていなかったのである。医者に指示された薬を真面目に塗り続けてきて、これまで日常生活を問題なく送れてきたのに、その薬を中止したからといってそれ以上に良くなることはなくても、まあ基本的には現状維持だと考えていた。リバウンドという言葉は聞いたことがあったかも知れないが、あまり意識したこともなかったのでよくは覚えてはいないが、放っておけば1週間ぐらいで自然と消えていく一過性の症状のように思い込んでいたのである。それで妖怪のような皮膚になっても、息子が住んでいるマンションに行った時には、この機会に元妻を威嚇してやろうと気軽に見せつけていたぐらいである。こんな感じである。
「実は最近ステロイド止めたらな、皮膚が酷いことになってきてんねん。見たいか。」
「見せて。」
「見てギャーて言えへんか。ギャーて言うなよ。」
「言えへん。」
私は上半身の服を脱いで、ちょっと誇らしげに、ちょうどヤクザが素人衆に対して刺青を見せるように、「どや」と言って異形の肌を見せた。元妻は私の身体を見るなり「えぇー」と言って絶句し、それから冷めた声で「入院した方がいいんちゃう。」と言うなり黙ってしまった。入院なんて大袈裟なことを言うなあと私は思ったが、要するにその時には私はまだ精神的に余裕があったのである。その一方で年が明けてからというもの、それまでのアレルギー症状を根本的に治さなけらばいけないと痛感し、様々な治療方法を模索する日々となった。また当初は余裕のあった私も日に日に症状は苦しくなってきた。脱ステ開始後1週間から10日経ったぐらいの時には夜、寝ている間に背中から黄色い汁が浸み出してきて、ほとんど寝れない状態に陥ってしまった。一晩にシャツを6~7枚も着替える日々が何日も続いた。その辺りからリバウンドの恐ろしさというものを身に沁みてわかるようになってきたのである。皮膚の状態は改善どころか悪化してゆく。背中や腹だけでなく首や顔にも症状が上がってきていた。それまでの教訓から、もう一軒の病院、一人の医者の言う事だけを黙って大人しく聞いていることはリスクが大き過ぎると考えて、セカンドオピニオンどころか皮膚科の病院だけで計3~4軒を駆け回ることとなる。新しい病院に行って、それまでの事情を話し、初めて皮膚の状態を医者に見せれば大抵は、「ギャー」とは言わないけれど、「うわー」と言って驚いた。驚くのは良いが、皮膚科の医者ほど人によって治療方法に対する見解がまちまちで時には正反対ですらありながら、本質的な部分では同質である種族も珍しいのではなかろうか。そこには同質性と無能を隠蔽する差別化、個性化があるのみで、何とも胡散臭いのである。私がそれまで受けていた治療に対してステロイドの出し過ぎだと私の窮状に一定の理解を示す医者、無謀にも自己判断で勝手に脱ステに突き進んだ事に対して無言で怒る医者(その医者には脱ステの直前にも一度だけ診てもらって血液検査をしていた)、ステロイドそのものを懸命に擁護する医者など反応は様々であったが、はっきり言ってどの医者も私の状態を改善するに役立つようには思えなかった。それぞれいろいろな事を言うのだけれど、結局はステロイドを止めてしまった患者に対して為す術がないのである。効くか効かないかわからないような漢方薬を気休めのように出すぐらいである。言い換えれば皮膚科の医者と言うものは(皮膚科だけではないかも知れないが)、その治療方法は多かれ少なかれステロイドや特定の薬に惰性的に依存しているということである。そういう医療の現実に、またそういう医者たちに治してもらおうと期待したところで無駄であり、無意味ですらあることがはっきりとわかるようになってきた。つまるところは自分で考えて、自分で治す以外に方法はないのである。皮膚科の病院は血液検査や保険適用の治療が必要な時に利用する程度にとどめることとした。そしてアレルギーの根本的な原因を突き止めようと色々と調べてゆくうちにキレーション療法に行き着いたのである。どういう思考回路で行き着いたのか覚えていないが、何か感ずるところがあったのであろう。キレーション療法とは、体内に蓄積された有害金属を排出する治療法である。キレーション療法の歴史は古く、元々は第一次世界大戦中に毒ガスの被害を受けた兵士に対して行われていた解毒治療である。その後今から50年ほど前に炭鉱労働者の鉛中毒を治療する目的で普及することとなった。鉛中毒だけでなく動脈硬化や糖尿病、高血圧にも効果があることが判明し、研究が進められることとなる。一時研究が中止されていた期間もあったようだが、アメリカの国立衛生研究所が2002年より30億円の巨費と10年の歳月を費やして研究を再開し、2013年の6月に成功裏に終結したということである。発端は軍事利用の医療技術なのである。私は個人的には、アメリカが2002年という時期にこの大規模な研究を再開させた背景には、前年2001年の9.11事件が関係あると考えている。アメリカという国の凄いところは一旦危機感を持つと、問題を先延ばししたり、曖昧に処理せずに即座に危機に対処し得る技術を確立させようと前進してゆく点にあると思う。日本のように潜在的な危機の現実に対して、言葉の言い回しやレトリックで本質を糊塗するような不毛な議論に国全体が拘束されたり拘泥することがない。アメリカにとってキレーション療法の活用とは、市民への化学兵器を用いたテロ被害を想定している要因も恐らくは大きいのであろうと想像する。その点、日本は1995年にオウム真理教によるサリン攻撃を実際に経験しているにも関わらず、このような治療法が数ある民間療法の中の一つとしてさほど認知もされず、普及もしていないということは、本当に情けない事だと思うのである。
(次回に続く。)