龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

政治の裏表と日本の民主主義

橋下市長は住民投票敗北直後の記者会見で、改めて任期満了後に政治家を辞める意向を表明し、これまでの自らの政治スタイルを総括、反省したのか、多くの人を敵に回して嫌われる政治は良くないという意味合いのことを笑顔で述べていたが、あの部分は本心だと思われる。今頃になって気付いていたのでは世話がないという意見も多かろうが、私はそうではないと思うのだ。政治という職業に身を置く者は、多かれ少なかれ程度の差はあれど嫌われて当然である。特に民主主義は本質的に対立(敵)を必要とする制度である。もちろん調整や歩み寄りで解決するに越したことはないが、現実にはそうならないことの方が多いし、また無理をして対立や衝突を解消させていたのでは、そのしわ寄せは市民生活の中に歪みとなって具現化するものである。日本という国の問題は、正にそのぐにゃっとした、異次元に迷い込んだかのような、不健全な政治権力構造に端を発する歪みであると私は考えるものである。マスコミは橋下市を批判する理由として、パフォーマンス的に改革の敵を作って世論を二分させ、反対派を叩き潰すなどの過激な発言で注目度を高める扇動的な政治手法をいつも上げてきたが、それではその対極に位置する政治とは何かと言えば、現状維持の談合体質的な馴れ合い政治である。別に極端と極端を比べてどちらがまだましかということではなくて、何て言うのか、そのような批判や議論は、皮相的で重要な論点のすり替えでしかないものである。マスコミは論点のすり替えばかりをしているし、橋下氏も自らの失脚の理由がこの期に及んでも、いまいち理解し切れていないように見える。敵の数の多さとか、嫌われる度合いであるとか、無論そういうことも無視できない重要な政治要素ではあろうが、橋下氏が自己認識できていなかった欠点、弱点は、「表の論理」を信奉しすぎていたことにあったのではないのかと思うのである。政治の世界は、私のように門外漢の素人が言うのも何だが、とことん汚いものだと思う。何でも有りの世界なのだ。誰かが人殺しをしても日本の全ての団体や機構、組織がその事実に目を瞑り、なかったこととするべく結託すれば犯罪の事実は闇に葬られるのである。一個人が真実に拘っても全体が横並びで否定すれば、その人間は狂人扱いされるだけである。法治とは表面化された上層部分の秩序であって、超法規的な判断、操作も国内政治の一部であると私は思う。超法規的な措置と言っても人質の生命を救うための人道上の逸脱であるばかりではなく、既存の社会秩序や権力構造を守るための権力による非民主的な不法行為も含まれているはずである。どこの国でもそうであろうが、特に日本は表と裏がはっきり分離していないから外部からは見え難いが、表が裏を抱え込んでいるというか、許容しているところが大きいように私には感じられるものである。まあ私の考えが間違っているというのならそれはそれで大いに結構なことだが、たとえそうであっても、私に言わせれば普段から何も考えていないような馬鹿にしか信用されない日本の政治の方にこそ問題があるのである。日本の政治とは一つの業界団体のようなものである。政治業界の利益を土台にした政党の寄せ集めであるとも言える。表面的には議員定数の削減であるとか、政治献金の規制であるとか市民寄りの課題が喧々諤々と議論されることはあるが、思想とか主義に関わりなく、いずれにせよ日本の政治を決して本物の民主主義へ成熟させないということ、まかり間違ってそうなりそうな趨勢に傾きかけた時には各政党が一致団結して妨害すると言う点で阿吽の呼吸で結びついているものである。政党助成金の受け取りを拒否している共産党ですらそうなのである。これは陰謀とか談合という次元の問題ではなくて、日本と言う村社会における暗黙の掟のようなものであると思われる。そして政党だけでなく実はマスコミや警察、司法などの権力機構も緩やかな範疇においては常に心を通じ合わせている仲間であると言える。そこに橋下氏のように潔癖な表の論理だけを大上段に振りかざして、いかにも教科書的な民主主義の手法で大胆に既存の権力構造を破壊し、統治様式を変質させていくことを試みる政治家は、自民党をぶっ潰すなどと言って自民党の代表となった小泉元総理などよりある意味においては遥かに危険であったのだろうと考えられる。橋下氏の意を汲む維新の党が地域政党としても、国政の場においても一定の勢力を維持することとなれば尚更のことである。日本の旧来の政治連合が何よりも恐れる本物の民主主義へと近づきつつあるということなのだから。しかし我々市民側の立場からすれば残念、不幸なことに、橋下氏という人物の特質は天然とでも言うのか自分自身の危険性について、どれだけ危険視されているかということを客観的に理解し切れていなかったところにあると思うのだ。頭は良いのだけれど何かが欠落しているのである。そういうところが時々問題発言の軽さとなって現れてきていた原因だと見れる。橋下氏は政治の裏を見ようとしないがために、裏の論理に潰されてしまったのだ。偽物の民主主義を信用し過ぎて、結果的に行政区分の改革や大阪都構想などよりはるかに重大な意義のある本物の民主主義へ突き進もうとしてしまった罪により政治家生命を断たれることとなったのである。橋下氏はまさか票の集計で不正が為される可能性があるなどとは考えもしなかったのであろう。記者会見の場では、何度も民主主義を礼賛し、自分が政治家を辞めた後も殺されることもなく第二の人生を歩めることは有難いとまで言った。何かをわかっているような、何一つわかっていないような原因と結果が転倒した発言であるがそれもまた本音なのであろう。エリート意識の結末はさばさばとした哀しみに満ちていた。