龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

国民の意識が日本を変革する

政治とマスコミが国民をだまくらかす手口を暴いて、わかりやすく説明することは、私の得意分野であり、偏差値に換算すれば70ぐらいはあろうかと思われるが、一度にいろいろなことを言っても、一般の感覚からあまりにかけ離れた考え方なので多くの人にはついてこれないというか、即座に消化するのが難しいと思われる。よって同じことを何度でも繰り返して咀嚼しやすいような説明を心掛けたい。稲田氏の件については、確かに防衛省の官僚や自衛隊の指揮官が特定の政党への支持を訴えるような発言を立場を利用して、公的にすれは大問題であろうが、文民統制などと言われる通り、自衛隊が議会や内閣の指揮権限下にあるのは事実であって、「防衛省自衛隊としてお願いしたい」という言い回しは、「防衛省自衛隊の総意」としてと言う風に聞こえるので厳密に言えば不適切であり、誤解を招く表現だと言えようが、いやしくも防衛大臣の応援演説なのだから、言葉の綾の問題に過ぎないのであって、謝罪して訂正すれば済む話しであると考えられる。決してアウトではなくセーフの領域だ。別に私は稲田氏を弁護するつもりは毛頭ないが、基本的な法律への無理解などと批判されているが、喋るのが仕事のような政治家にとって、人間なのだから誰でも時には言い間違いぐらいはするものである。民進党の党首は偉そうに、野球の審判にでもなったつもりなのか、「アウト」の判定を下していたが、アウトなどと言うのであれば、民進党の存在そのものが何よりもアウトではないか。ともかくもマスコミにとって重要な手口の一つに、政治家のこのような言い間違いや問題とされる発言を捉えて執拗に攻撃し、野党や対立政党もその動きに便乗して、偽りの民主主義を演出するという図式がある。このような光景をこれまでに何回、見せられてきたことであろうか。皆さんはいい加減にうんざりとした気持ちにはならないですか。そしてそのようなパフォーマンスの中で、政治の本質的な欠陥や機能不全が、国民に対して隠蔽されるのである。山口敬之氏の問題との対比で見れば、政治は実質的には、警察権などの行政に不正介入して法治主義を毀損している疑いが濃厚なのである。訂正して謝罪すればすむ言葉の綾程度の問題にこれほど騒ぎ立て、大臣の罷免を求めるのであれば、なぜ政治権力による犯罪的な揉み消し疑惑については野党もマスコミもそっぽを向くのかということだ。この政治操作がどのような原理で成り立っているかを説明すると、表面的な形式に過ぎないものを、たとえば今回の稲田氏の言い間違いのような類のことだが、潔癖に追及することによって、核心部分の実質的な腐敗を外部から見え難くさせると同時に、マスコミや政治、警察との癒着の構図には国民の意識や目が向かないようにコントロールされているのである。そして一般には信じ難いことであるかも知れないが、そこには与党も野党もなく、実は共産党ですら例外なく「仲間」であるということなのだ。戦後の日本の政治は、そのように民主主義が決して本物の民主にならないように全ての政党やマスコミが結託して維持されているところの一つの均衡なのである。そして国民不在のその均衡の許容範囲内で、様々な政治マターが日韓関係などの外交問題も含めてであるが、演出されているということなのである。日本は多くの日本人が漠然と考えているよりもはるかに恐ろしい国なのである。ただ私の考えではあるが、最終的には国家権力と言うよりも意識の問題なのであって、国民の平均的な意識が上昇すれば、現状の腐敗の構図を打ち破ることは十分に可能だと思われる。だからこそ政治やマスコミは、そうはさせじと警戒しているものである。これからの時代は、意識と意識の戦いである。天上の天使と悪魔が戦っているように、人間もまた暴力や数ではなく、意識の力でこの地上世界を変えていかなければならないのだ。