龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

憂鬱の民主主義

゛「都構想」めぐり全面対決再び などと言われて違和感を感じないであろうか。9月4日の朝日新聞、夕刊の記事である。11月22日に予定されている大阪市長選で自民党は、今年の5月の都構想を問う住民投票橋下徹大阪市長と直接対決し反対多数に追い込んだ立役者の柳本顕・大阪市議の擁立方針を固め、それに対し大阪維新の会は、都構想を公約に掲げ、独自候補を立てて全面対決の姿勢を示しているという。一方で近々、政界を引退するはずの橋下氏は国政の新党を結成し、フェイドアウトしてゆく人間の行動とは思えないような意気軒昂を復活させている。
これは一体、何事なのか。舞台裏はどうなっているのか。住民投票を実施させた張本人の橋下氏自身が、大阪都構想の二回目はないとはっきりと宣言していた。またその疑問に応ずるように読売新聞は、ラストチャンスと言っていたはずなのにおかしいではないかという正論を主張する立場を堅持している。今更のように私ごときが解説するのも馬鹿馬鹿しく、言うのも気が重いだけであるが、先の住民投票は私が何度も主張していたようにインチキなのである。自民党が介入してNHKに命じ、絶対に反対派の負けが確定してしまわないような不可解な集票のさせ方で賛成、反対を同数に揃えさせておいて、開票率98%の時点の残数で賛成派が多数となることが判明した時点で、賛成票と反対票の残数を取り替えて報道させ、不正に反対を勝たせたのである。そして恐くはこの不正選挙は、国民には当然知らしめられないことではあるが、政治や行政、マスコミなどの人間にとってはタブーとして誰もが敢えて口にはしないけれど、周知の事実となっていると思われるものである。そういう流れの中で日本の虚構民主主義は、この後味の悪い結果に対して、リターンマッチで再度、決着をつけさせることで前回の不正の大罪と疑惑発覚の可能性をもろともに消滅させようと目論んでいるのである。いかにも日本の政治やマスコミが陥り、画策しそうな精神構造と行動のパターンである。何度も何度も繰り返し述べ立てることは憂鬱以外の何物でもないが、日本の民主主義とは肝心なところではほとんどインチキであり、国民不在で便宜的に作られたものでしかない。それに対して僕たちの民主主義などと、生まれながらの所与の条件として手放しで肯定しているような人間はただの馬鹿でしかない。何でこのようなインチキとごまかしがいつまでも大手を振って横行するのかと言えば、そのような虚構性が日本の統治構造の中核をなすに至っているからであり、突き詰めれば、日本の虚構性とは自主憲法の不在という空虚にしか行き着かないものである。右翼も左翼も関係なく、三島由紀夫が自決した心情が痛切に理解できるものである。
憂鬱は 虚構と虚無の 秋の中