龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

我が秋の休日

日に日に涼しくなってきて、過ごし易くなってきたのはいいが、大雨の水害で家を流された鬼怒川流域の人の事を考えると本当に気の毒である。政府には最大限の援助を尽くしていただきたいものだ。
今日の日曜日は、朝早くから京都に行って京都駅付近で有名なラーメン店でラーメンを食べ(客は並んでいたが、味は並みであった)、烏丸御池駅から徒歩7~8分の所にある旅館のような雰囲気の老舗喫茶店でコーヒーを飲み、それから京都市美術館に寄ってマグリットの絵を鑑賞し、帰りは大阪駅近くの淀橋カメラで買うかどうか迷っているところだが、モバイル型ノートパソコンを物色して帰宅した。JRおよび京都市地下鉄の移動の車中と喫茶店では10年ぶりぐらいに再読していたヘンリー・ミラーの『南回帰線』をやっと読み終えることが出来た。その後、夕方からは息子が住んでいるマンションに自転車で行って2時間ほど勉強を教えにではなく(中3なので教えるのはしんどくなってきた)、監督して先ほど帰ってきたところである。私にすれば随分と活動的な一日であった。ヘンリー・ミラーの南回帰線についても思う所は大きいのだが、それはまたの機会に譲るとして、今回はマグリットの絵について何の知識はないが率直な感想を述べさせていただくことにする。マグリットと言えば鳩の輪郭から青空と白い雲が透けている絵が有名であるが、あれは晩年の作品で、20代から30代前半ぐらいは観念とイメージが融合したような、一口にシュールレアリスムと言ってもどちらかと言うと暗い感じの絵が多かったのである。マグリットが14歳の時に母親が自殺をしていたとのことで、女性を描いていても顔がのっぺらぼうであったりするのはその影響ではないかと私は考えながら見ていたのだが、とにかく全体的なイメージで見れば思索的であると同時に、物を見る目が逃避的とは言えないかも知れないがどことなく否定を含んでいるように私には感じられた。超現実的に物を透徹して見るがために、マグリットは日常生活における習慣というものの束縛力から離脱しようとするのであるが、そこにはやはり思春期における母親の自殺が影響していたように想像された。それが第二次世界大戦が始まって、ナチスマグリットの母国であるベルギーに侵攻することとなると、マグリットは南仏に避難するのであるが、作品の画風も大きく変わるのである。急に印象派の明るいイメージに変化し、漫画チックな雰囲気の絵も一部に見られることとなる。解説ではそれはマグリットナチスに対する批判だと説明されていたが(記憶違いかも知れないが)、私はそうではないと思う。当然のことではあるが、マグリットナチスに目をつけられることを単に恐れていたのである。それではなぜ恐れなければならない必要があるのかということであるが、物を見る時に我々は普遍的で絶対的な真理や真実を見ているように錯覚するが、実は、我々が見ている物の像は習慣によって形成された固有のイメージなのである。三人の男の頭上に各々三つの月が掛かっている絵があったが、月は一つでしかないのに三人の人間がいれば三通りの月の見え方が存在する。そしてそれらの複数の現実を一つに統合する機能が実は政治なのである。よってマグリットのような超現実的な作品は、一歩間違えれば、いや間違えなくとも解釈次第で痛烈な現実(政治)批判に成り得るということなのだ。それゆえに現実と言うものを一旦、無化した上で固有に再構成するシュールレアリスムという作風から、印象主義のもやっとぼかしたような表現方法に転換するのは当然と言うか非常にわかりやすいことなのだ。そしてその作風から戦後にはまた元に戻ることとなる。それが戦前の母親の自殺の影響を引きずったような暗さから、晩年の鳩の輪郭から覗かれる青空と雲の絵や、海上に巨大な岩が浮遊している絵のように、何かしら抜けたような壮大な感じに様変わりしていて、ただその変遷が感動的なのである。