龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

個と集団の関係性

警察官の犯罪が止まらない。集団強姦であるとか殺人とか、もうやりたい放題といった感がある。それに対する論評で、枕詞のように聞こえてくる言い回しに「全体から見ればごく一部の警察官のこのような不祥事で、他の多くの真面目な警察官までもが白眼視され迷惑を被ることとなっている」というような内容が多い。何気なく聞き流しているだけでは正論のようにも聞こえるが、私はそのような世間の共通意識をなぞるが如き、私心なき中立性を装ったようなマスコミ的なコメントの誘導に敏感に反応し、ささやかなる鬱憤を感じるものである。皆さんにもよく考えていただきたいのであるが、警察官という職業はその性質上、民間企業の一社員とは違って、一つの絶対的な規律の元、同じような価値観を持って職務に従事している集団である。つまり分かりやすく言えば、軍隊のようなものである。一人一人に個性がないとは言わないが、その集団の本質は規律、規則の下での均質性であって、その均質が目的とするところは法と社会の秩序を守るということなのである。たとえば戦争中に兵士が戦地において民間人の女性をレイプしたり、略奪行為を働いことが発覚した時に、同じように全体から見ればごく一部の不良軍人による犯罪で多くの善良なる軍人のイメージが悪くなっているなどと、個ではないその集団を擁護する発言がなされるであろうか。もちろん戦争中の軍人と平時の警察官を同列に比較することは出来ないという意見はあるであろうし、たとえ戦時であっても人間としての良心を保ち得る兵士も少なくはないであろう。よって適切なたとえではないかも知れないが、大雑把に概観すればそういうことである。つまりこれだけ現役警察官の犯罪が発生しているということは、個の問題ではなく明らかに集団(警察組織)の問題であり、組織が腐敗しているからこそ末端の警察官がこのような不祥事を引き起こすということである。そして何よりの問題はこのような組織全体の腐敗、堕落に対して責任を取る者が誰もいないということである。TVの記者会見でちょっと頭を下げて謝罪するポーズを見せたからといっても、責任を取ったことにはならない。この社会的な構図というものには根深い問題があるように考えられる。警察や教職員もそうであろうが公務員という組織は、組織全体の腐敗や問題が世間から一定以上に追求されないように保護されているということなのだ。その理由は説明するまでもないことではあるが、公務員の腐敗とは最終的には国家権力の責任であり、また国家の腐敗、堕落がそのまま如実にそれらの事件、不祥事に反映されたものであるとの見方が成り立つからである。よってそういう所から、マスコミは大衆へ悪いのは一部の個であって、組織全体は正常、健全に維持されているかのイメージ操作を行おうとなすがゆえに出てくる発言なのである。またマスコミ自体が公務員に近しい組織体質を有している面が大きい。他の業界に対しては、平気で業界構造上の問題を追求するような姿勢を見せるが(それは報道の公益性から考えて当然であるが)、マスコミ業界については、政治や官僚機構との結びつきなど明らかに他業界内部の不祥事などより日本の民主主義にとってははるかに深刻な問題を抱えているはずであるのに、それらに対して批判したり追求するような組織も人もほとんど皆無であるといったことが現状なのである。だから私とすれば言いたくもないことを、面倒なだけで個人的には何のプラスにもならないことを、絶えず言わなければならないような衝動というか強迫観念に囚われ続けなければならないこととなるのだ。私が言っているのではない。私を通して、私ではない何物かが、私に言わしめているのだ。