龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

日本のアイドル孝とSMAP騒動

アイドルと言っても、AKBとかになるとよくわからないけれど、さすがに私でもSMAPぐらいは知っている。その国民的アイドルグループであるSMAPが解散か、存続かで世間では大きな関心の的となっている。多くのSMAPファンを敵に回すような憎まれ口は叩きたくはないが(あくまでも個人的意見なので、怒りのコメントは寄越さないでください)、「アイドル」と言っても、もうそのメンバーのほとんどは40歳過ぎの「おっさん」である。一口におっさんと言っても、その辺で昼間からパチンコをしたり、場末の立ち飲み屋でたむろしているような庶民的なおっさんではないことは私も認める。歌って踊れるスターのおっさんたちである。しかし、それでも年齢的にはれっきとしたおっさんたちをいつまでもアイドル扱いする日本の文化とは、いかがなものであろうかと私は考えてしまうのだ。アイドル(IDOL)とは「偶像」の意味である。偶像とは一般的に、偶像崇拝とか偶像破壊などの文脈の中で使われる言葉であるが、日本の大衆は一体、アイドルに何を求め、また何故にアイドル足り得るのであろうか。アイドルとは、私はとこしえに変わらぬ一つのイメージだと思う。仏像などの偶像を考えると分かり易いが、菩薩観音像はいつも変わらぬ女性的で優しげな微笑で衆生を見守り、煩悩や生存の苦しみを和らげてくれる、不動明王像は赤々と燃える光背の火炎と降魔の剣で、煩悩や愚かさを焼き尽くし、仏道の妨げとなる障害や敵を降伏してくださる。そのような容貌やイメージの不変性こそが鑑賞したり、崇拝する者にとって重要な意味となる。仏像だけでなく、イコンなどの聖画やキリスト教の十字架なども同じであって、宗教的、学術的な解釈や評価がどうであるかよりも、それを見る者皆が共通で不変の感動を覚えることにその物の存在の意義と価値があるということができる。宗教を離れてもっと身近で親しみやすいもので見れば、ミッキーマウスなどのディズニーキャラクターや日本で言えばアンパンマンなどのアニメキャラクターも一緒である。誰がいつ見ても同一の感情が喚起される。それが偶像というものの偶像たる所以であり本質であろう。そしてそれは芸能界のアイドルにおいても基本的には同じことではなかろうか。美形であるとかカッコよさということもアイドルの要素ではあろうが、本質的にはその一つのイメージが変わらないということが重要なのである。いつ誰が見ても爽やかで清潔感が感じられるとか、どのような時でも清純で可憐なイメージを失わないなどがアイドルの条件であって、極端に言えば、昨日と今日でイメージが違う、印象が変わっているというのではどんなに美形でカッコよくとも決してアイドルにはなり得ないのである。関連して言えることは、分かり易いということがアイドルの特徴であろう。見た目に誰の目にも、優しそうであったり、セクシーであったり、可愛らしいということは、各々の受け止め方の問題ではなく、共通言語としての記号のようなものであると言える。またそういう特性がマス媒体の広告として適していることは言うまでもないことだ。しかし仏像やアニメキャラクターのような偶像とは違って、生身の人間は年月の中で歳を取っていくし、容貌の衰えもあるであろうし、一つのイメージを維持し続けることは困難である。そういう意味では、SMAPというグループは20年か25年か知らないが、一貫したアイドルイメージを保持し続け、成功してきた稀有な例であるということができるのであろう。そこにはタレントを売り込むマーケティングの上手さとメンバー各人のそれぞれの才能に負うものが大であったことは疑問の余地はないと思われるが、その反面、SMAPという一定のアイドルイメージに長年、囚われてきたあまりに損なわれてきたものもあったのではなかろうかと、今回の独立云々の騒動を通じて感じるところはある。SMAPファンに叱られるかもしれないので言い難いことだが、はっきり言って40過ぎや前の中年として見れば、どこか子供っぽさが抜け切れない感が私の目にはあるのである。但しキムタクだけは、以前から何となく感じていたことだが、メンバーの中で異質な存在のように見えていた。内面的にアイドルであることを自ら拒否するかの意志が表情や身振りに滲み出ていた。あのメンバーの中で無意味ににっこり笑ったりしないのはキムタクだけではなかろうか。不愉快な時にはカメラの前でもムッとした表情を見せたり、厭な質問を受けた時には露骨に顔を背けてしまいそうな雰囲気が彼だけにはあった。キムタクだけは外的なアイドルとしてのイメージの型よりも、自分自身の内面をより重視していたように私には見えていた。反抗的であるとか気難しいというよりも誰よりも内に自分自身と言うものを持てていたのだと思う。だからSMAPのようなアイドルグループの中にあって唯一、大人になり得ていたのかも知れない。今回の騒動においてもキムタクだけが大人の判断を示し得ることが図らずも証明されてしまった。どのような組織や職場においても、人間関係とか派閥などの問題はあるであろうが、特に芸能関係は一般の会社組織よりも人間関係が緊密で家族的なので、対立や確執が深刻になるのかも知れないが、独立云々で、マネージャーか事務所のどちらかを選択しなければならない状況になれば、よほどその事務所に問題があるなら話しはべつであるが、基本的には事務所があってのマネージャーでありタレントなのだから、事務所を選ぶのが筋であり、大人の判断だと私は思う。キムタクは当然の判断を下したのだと思う。それをクーデターのようなことを起こしておいて失敗したからと言って、やはり事務所に戻りたいとか、SMAP愛だなどと言うのではいかにも子供であるとしか言えない。そしてその混乱の中でキムタクが、事務所と残り4人の調整役を引き受けているようであるが、仮にうまくもとの鞘へ収まったとしても、メンバー間や事務所との間のしこりは消えないであろうから、たとえSMAPという形は残っても実質的に内部崩壊しているのと同じである。それに大体においてこのような騒動の張本人であるマネージャーが雲隠れしてしまって、混乱の収拾を図ろうとしない態度はあまりにも無責任であり、そのような人間を信用し、ついていこうとしたメンバー4人は、結果的に人を見る目がなかったということにしかならないということだ。まあ、この苦境を乗り越えて、雨降って地固まるのたとえもある通りメンバー5人がより結束し、成長していくという可能性もなくはないであろうが、年齢的にもアイドルから脱皮する潮時であり、SMAPという枠にこだわらない方がいいように私は思うのだが。
いずれにしてもマスコミはこの騒動をあまりに大げさに報道し過ぎであると思う。どこにでもある話であるし、まあ言ってしまえばどうでもよいことである。日本の大衆も10代のティーンエイジャーであるならともかく、20歳を過ぎればアイドルグループの余計な心配をするよりも、もっと日本の将来と自分のことを関連付けて真剣に考え、声を上げていくべきだ。アイドルはいつまでも変わらぬイメージであなたの心を癒し続けてくれるであろうが、それもまた広義に言えば、大衆に社会の本質を悟らせないための政治的操作の一つなのである。我々はそのような幻想を一つ一つ打ち壊しながら、大人へと成長していかなければならないのだ。