龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

FXの人生哲学

やばい内容について踏み込んで書くことは、どうも恐ろしくて踏ん切りがつかないので、また為替相場における投資手法について述べさせていただくが、FXなどでは一般的に「損小利大」などと言って、いかに損失を小さく確定させ、利益を大きく伸ばすことによって、トータルでプラスの収支へ運用させることが重要であるかが強調されていて、そのためには個々の取引における「損切り」の見極めが最終的に黒字の収支に導けるかどうかの要諦であると教科書的に述べられていることが多い。FX歴が僅か半年程度で、遊び程度の少額の金とは言え、黒字の収支には程遠い初心者の私が、一人前の見解をのたまうことは憚られるが、それでも現時点での率直な感想を言わせていただければ、そうではないと思う。多数の負け(損)の合計額を小さく確定させて、少数の勝ち(利益)が負けの合計額を上回れば、通算すればプラスになる勘定であるが、経験のある人にはわかるであろうが現実的には、ほぼ不可能である。なぜ不可能なのかと説明するに、プロはともかくもほとんどの人間は(もちろん私もそうであるが)、損失を取り返そうとして損失をさらに大きくさせる悪循環に必ず陥るものであって、その心理的なメカニズムが相場であるとかギャンブルの本質であるからだ。FXである取引において損をしても、次のエントリーで必ずとまでは言わなくとも、5割以上の勝率で利益を生み出せる経験とスキルがあるならば、通算すれば次第に自然と蓄財していけるのであろうが、経験上、言えることはある取引で損をすると、その次の取引においても負ける可能性が高い。そしてその次の取引においてもまた負ける結果になり勝ちである。もちろん頭に血がのぼって冷静な判断力を失うとか、動揺して思考力が低下するなどの精神的な要因も大きいであろうが、それだけではないと思う。それだけではないというよりも、そもそも勝ち負けの定義の問題だと思われるのだ。FXであれば波のように上下動する為替の動きに対して、時間軸という垂直の線で、ある地点に切れ目を入れることが買いか売りの取引に参加するということであって、その取引に対してその後のどこかの時点で清算するための線を引いてしまえば、その差額が損か益かで確定することとなるが、原理的には清算しなければ、つまり潔く負けを認めさえしなければ、どこまでいっても負けではないのである。FXも投機であるゆえにギャンブル性があるのは当然であるが、パチンコや競馬、麻雀などと異なる点は、パチンコや競馬、麻雀などは否が応でも勝ち負けをある時点で確定させられて投入した金額の清算をさせられることとなるが、FXにおいてはそうではない。その本質的な違いは何かと言えば、FXはギャンブルであると同時に「貯蓄性」も兼ね備えているということなのである。よってFXはこの貯蓄性のメリットを最大限に生かすべきなのであり、反対に言えばFXをパチンコや競馬などと同じような感覚でやっていれば、ほぼ確実に、通算すれば100%の確率で負けるということである。しかしFXを利回りだけで長期的に保有することは、いたずらに含み損を膨らませるだけでより危険性が大きいのではないかと思われるであろうが、そうではないと思う。確かに時間と共に含み損がどんどん大きくなっていく状況は大変に不安なものであって、精神的にはとてもきつい。損切りをした方が良いような気もするし、いずれは反転するであろうからそれまで持っていた方が良いような期待感もあって判断に苦しむと同時に切迫した気分になる。しかしそういう気分になった時点でFXがパチンコや競馬と同じ次元に陥っているので、内実的には将来の赤字が確定しているのだと考えられる。今の私が思うところでは、最終的にFXで儲けられるかどうかの分岐点となる境目は、いかに含み損を悠然と抱えつつ、貯蓄性のメリットを生かすことが出来るかどうかだと思われる。それは資金力の問題かと言えば、そういう面もあるであろうがそれだけではないと思う。たとえ銀行に数十億円もの預貯金がある金持ちであっても、その大半をFXにつぎ込めば、僅か数銭程度の値動きだけで精神的におかしくなって破滅に突き進んで行く可能性が大きい。要するに金持ちであっても私のように金持ちでなくても、自分の経済力に見合った投資をして、過分なポジショニングを持たずに、着実な資金計画の元に一定の含み損という不安を自らの精神生活の一部として取り込んでいけるかどうかだと思われる。損のないところに得はない。損を抱える覚悟がなければ儲けることもできないのであろう。但し私は借金が嫌いだからいう訳ではないが、この文脈において言う所の損とは借金のことではない。単に自己資金の目減りである。私も含めてであるが多くの大衆は、含み損を極端に忌避する傾向が強すぎるがゆえに相場の趨勢やチャートに操作されて損失を大きくする悪循環にはめられてしまうのであろう。まったく含み損の状態を経過することなく一直線に利益が得られれば何の苦労もないが、そのようなことは現実にはありえない。そういう認識を持てるようになってから、私のささやかな投資行動も変わってきた。何度も繰り返す通り少額の金なので何の自慢にもならないが、私は先月の後半からドル円の買いポジションを持っていて、ご存じの通り日銀の黒田総裁が市場における金融緩和の期待を裏切って、金融政策の現状維持を発表した途端に僅か5分程度で2円ほども円高になって大損をしたがまったく手仕舞うことは考えなかった。損を取り返そうとして新たなポジションを持っても、損を大きくするだけのことがわかっていたからである。それだけでなく前回にも述べたが、私はその後も急激な円高が進み5月中旬には100円を突破するところまでいくのではないかとも考えたが(結果的には私の予想は外れそうであるが)、そうなると私の含み損はさらに一層、拡大することになるが、べつにそれでもかまわないと考え、じたばた、あたふたと新たな取引で取り返そうとはしなかった。その時の私の頭の中にはこういう計算式があった。仮に1日に3万円負けても、その3万円を取り返そうとあたふたすると1カ月の集計では黒字になるどころか10万円の赤字になることであろう。しかし一時的に一切の新規の取引を中止してしまえば一日3万円の負けは、次の日には一日1万5千円の負けになり、その翌日は1万円となり、十日後には3千円で、1カ月後には1000円、100日も経てば僅か一日あたり300円の損失にまで薄まり痛くも痒くもない金額になる。また100日まで待たなくとも相場の状況は大きく変化するであろうし、僅かではあるがスワップ金利収入もある。そういう風に考えていくと下手な浅知恵で何かするよりも、何もしない事の方が明らかに自分の利益になるという状況が確かにあるということなのだ。「時間が解決する」とはそういうことなのである。結論的には今の相場の動きはあまりに極端なので100日どころか、10日ほどでそのポジションはプラスマイナス0近くまで戻ってきた。この時間が解決するという教訓はFXにおいては、資金管理がきちんとできているという条件においてではあるが、一つの真理であると考えるに至っている。いやFXだけでなく人生全般において言えることではないであろうか。短期間に窮地から脱しようとあがいてもろくなことにはならないということだ。たとえは悪いかもしれないが、損を取り返そうとして新たな取引を繰り返し、損失を大きくさせていく投資家の心理はストーカーの心理状態と似ていると思われる。一旦、女性に振られてしまえば落胆と動揺のあまりに一時の好意を取り戻そうとして何をどのように努力しようとも相手の気持ちが変わることはあり得ない。変に執念と執着心を持ったところでストーカーのような心理状態に陥っていくだけである。そのような時は何もしないに限るのである。じっとして時に任せるのだ。そうすると自分は何一つ変わらなくとも、必ず状況は変化していくものなのだ。なぜなら世界の状況そのものが、ひとところにじっとしていることが出来ずに絶えずあたふたと動き回っているからである。自分は動かない。自分以外の世界に動かせるのだ。そして自分以外の世界の変化に乗るのではなくて、観察して、待ち構えるのだ。それがFXで儲ける唯一のコツであるような気がする。そうは言っても私はまだ儲けるところまでいっていないから何一つ偉そうなことは言えないのであるが。でもそのような実績などどうでもよい。FXで儲けていますなどと言っている人間のほとんどは嘘つきである。FXで儲けているのではなくて、FXに関することの嘘で儲けようと企んでいるのだ。儲けようと、儲けられなくとも自分の信念を持つと、少なくともそのような嘘は見えてくるものである。