龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

スタバで勉強する子供たち

プライベートな行為は、多くの人の目がある公共の場所では避けることがマナーの基本であると前回述べたが、例外的に感じられるケースもある。それは何かと言えば、我々の世代と今の若者感覚との違いなのであろうが、休みの日に街中を歩いていて思うのであるが、今の高校生ぐらいの子供たちはスタバなどの喫茶店で勉強しているんだな。私の息子も高校1年生であるが、私の息子は日曜日もクラブ活動で忙しそうなので、そういう場所で自習はしていないと思うが、とにかくスタバとかマクドナルドなどで勉強している子を多く見かける。家でするよりも、そういう場所で勉強するほうが、捗るのであろうか。私が高校生であった時代ではちょっと考えられない傾向である。確かに飲食店などで勉強する方が、冷暖房費の節約にはなるので家計にとっては経済的ではある。はたして子供たちがそこまで考えてそうしているのかどうかはわからないが。また家で一人で勉強していると、だれてしまって眠くなってしまうので、そういう人の出入りが多い店内で勉強する方が集中できるのかもしれない。そして私が見る限りであるが、それらの店は高校生が店内で勉強して長居していることに、迷惑がっているようでもないのである。客の回転率が悪くなって商売の邪魔だから1時間以上は居すわらないでくれ、とでも言いそうなものであるが、よくはわからないが、あれほど多くの高校生が集中して勉強しているところを見るとそういうこともないのであろう。前回の内容と矛盾するかも知れないが、私はそういう光景を見ると心が休まるとでも言うか、世の中は金儲けの論理だけで世知辛く動いている訳でもないんだなと少し安心するような心持になるのである。子供たちが真面目に勉強するということはプライベートな行為であると同時に、広義に解釈すれば社会的な貢献にもつながっているものである。よってそのような子供たちの勉強という社会性に対して、スタバやマクドなどの公共的な店舗が、商売の論理を超えた許容性を発揮してくれるということは有難くもあるし心強くも思う。だがそういうことと電車内で化粧するような行為は全く別の問題である。言うまでもないことだが、化粧には何の社会性もないからだ。フェミニズム的にはあるという意見もあるかもしれないが、それは屁理屈である、よってそういう社会性のないことは家の中ですべきなのである。ともかくも最近の子供は、我々の世代に比べると真面目で勉強熱心であるようにも感じられる。日曜日にスタバで熱心に勉強している子供は、おそらく成人しても電車の中で平気で化粧するような大人にはならないであろうと思う。いや、それも実際にはよくはわからないことであるが。