龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

女性論と憎悪の対象

例年、1月、2月は仕事が忙しいので、更新が途切れがちになるが、暗殺されている訳でも、世を儚んで失踪しているものでもないのでご心配なく。暗殺されるほどの大物でもないし、今更、失踪といってもこの歳になって、どこに逃げればよいのか。この地上世界はどこに行っても同じである。地底世界でもあれば、話しは別だが。まあ何れにせよ、誰も私のことなど気にはしていないだろうが。
さて陰謀論はともかく、私がこの地上世界でもっとも忌み嫌う人種が、女性の社会学者である。なぜかと言えば、女性論であるとか女性学などを一概に否定するつもりはないが、世の中の犯罪や社会的な問題を偏狭な視点や考えで、女性の地位や権利と結びつけて、様々な新しい法律や制度を上程させる運動が、私は社会全体の有機的な統合や幸福、そして子供の福利厚生や生活そのものの妨げになっている側面が無視できないほどに大きいと考えるからである。女性の社会進出や地位向上は推進されてしかるべきではあろうが、大体において誰がとは言わないが、女性の社会学者は物事や社会を見る視点や意識が低いし、偏狭であることが多い。そういう考えや思考が社会全体に広く蔓延してしまうと、その薬のごとき副作用で、様々な弊害が我々の生活感覚のなかで醸成されていくこととなる。具体的な例で説明すれば、こういう問題は一つの事例だけでことの善悪を論じるとどうしてもこじつけの論理に陥ってしまって、それがそもそも女性論の根本的な欠陥であることを先に断っておかなければならないが、長崎におけるストーカー殺害事件がある。確かにこの事件だけを見れば、離婚した元夫がストーキング行為を繰り返し、暴力的な傾向性があったのであれば、子供との面会交流の取り決めがなされていたとしてもそれを忠実に実施することは、不適切であったということになるのであろう。このような悲惨な事件は実に多い。私の記憶に残っているものでも2~3年ほど前だったとは思うが、離婚後か離婚を争っていて子供に会えない元夫が、子供がいる学校内に押し掛けて、次男の子供を抱いたまま灯油を被り、火をつけて無理心中したケースが思い出される。それでは世の女性社会学者に聞きたいが、一体誰が悪いのであろうか。誰を悪者にすれば、丸く収まるのか。夫婦関係が破綻しているのに子供と会いたがる父親が悪いのか、父親に子供と会わせようとしない母親が悪いのか、それとも家庭裁判所が悪いのか、警察が悪いのか。現行の法律が悪いのか。そういう問題ではないであろう。悪者を作り上げる、そういう意識と思考がこれまではフェミニズム朝日新聞などの左翼思想と結託して、社会全体に啓蒙、宣伝され、ある種の社会的なプレゼンスと正義の拠り所が示されてきたものである。しかしそういう問題ではないはずである。もちろん法を犯せば、逮捕、拘束されたり、罰せられることは法治国家として当然のことではあるが、一つの事件を題材にして全ての類似した生活パターンに犯罪を未然に防ぐという建前の下に、制度や法律を継ぎ足していくことは危険性や弊害が大きい。我々が考えるべきことが何かと言えば、なぜ子供に会えない親が(主に父親)が、母親を殺害したり、子供と無理心中を実行するまでに至る極限の心理状態にまで追い込まれることになるのか、ということではないのか。その部分を解決しないで、犯罪を未然に防ぐ重要性ばかりが強調され、制度化されていくと、極端に言えば、離婚して子供に会いたがる父親は全てが、ストーカーやDV夫にならなければならない理屈となるものである。これは必ずしも極論ではなくて実際にこれまでにも朝日新聞社と提携した女性社会学者的な論理はそういう性質のものであったではないか。夫婦関係が破綻していても、或いはそれが原因で離婚していても、子供は両親と交流することが大原則である。その大原則を一つの犯罪事例を元にゆるがせにしてはならない。なぜならその基本がしっかりと保障されていれば、そもそも父親が元妻や子供と心中するまでの心理状態に追い込まれるケースは少ないはずであるからだ。もちろん例外ケースもあるであろうが、有機的に生活の幸福感を高める政治思想はそういう意識がベースにならなければならないものである。家庭裁判所で争い、小さな子供との面会が制限されたり会えなくなるような境遇に陥ると配偶者を憎むような心境に陥ることはごく自然なことである。そういう私も弁護士を通じて元妻と争っていた時は、さすがに呪術団体に依頼まではしなかったが(そういう類の団体を全く信用していなかったからであるが)、自分自身の呪力で殺害までは思わないが、元妻を弱らせて成敗してやろうと何度も考えたものである。幸福な家族生活を送っている人には理解できないであろうが、そういう心理状態に追いやられていくものである。ところが私の場合は自分なりの呪術(瞑想)を実施する度に、元妻はどういう訳か、どんどんと元気になっていくように思われたので、これはいかんと慌てて中断したものであった。その時に悟ったことは、呪術というものは同レベルの意識を有した相手にしか効き目はないということであった。最終的に私は怒りの矛先を元妻ではなく、このような不幸な境遇と心理状態に「導く」社会思想と政治手法に転じたことで救われ、離婚して母子と別居はしても親権は得ることとなった。私のような生活スタイルが離婚スタイルとしてベストであるとは言わないし、正直に言って、いろいろと問題もある。もちろん本当は離婚などしないで仲良く家族で同居していくことが望ましいものである。しかし今の私は離婚はしていても、ごく普通にいつでも子供と会えるし、元妻なども自分の仕事のことなどで私に相談して来たりであるとか交流は継続している。もちろん養育費や教育費を私が負担しているからという、単に金だけの繋がりではあるが、まあそもそも結婚というものがそういうものであるのだから、離婚して子供との関係を維持しようとすればそれはやむを得ないというか、当然なのであろう。幸い今のところ私は犯罪者ではないし、母子の生活も安定はしているが、一歩間違えばどうなるかわからないような危うい状況はこれまでに何度もあった。日本だけの問題ではないであろうが、制度とか思想に覆われた家族生活には、落とし穴が多いものである。常に誰かを悪者にしたり、誰かを憎まなければならないような社会思想を私は激しく憎んでいる。