龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

社会学としてのパチンコ考察

初めて入った喫茶店で、その店を30年以上前から経営しているという女性としばし話しをした。その喫茶店は大きなパチンコ店の前にあるのだが、タクシーに乗ってパチンコをしにくる40代くらいの女性が目について、そういう女性について普段から不快感を感じているようなことを言っていた。男はあまり気にならないのであろうが、女性は同性の日常的な行為に対して厳しい目を向けているものである。男女を問わず、パチンコをする人間としない人間がいる。趣味の問題と言えばそれまでだが、その違いはどこにあるのであろうか。社会学的に考察してみたい。先ず私が話しをした女性のように喫茶店を経営しているような人は、いや喫茶店に限らず、規模の大小を問わず何らかの商売をしている人間は、1万円の金を稼ぐことの大変さというものを身に染みてわかっているので1万円程度の金が湯水のように消えていくパチンコをしようという気になどならないし、タクシーでそのようなギャンブル場に乗り付けてくる同性を毎日見ていると嫌な気分にもなるのであろう。パチンコをする人間としない人間の根本的な違いは、「コスト意識」の有無だと思われる。経営者はコスト意識が高いので、当然例外もあるであろうが、パチンコをしない人が多い。それに比べてサラリーマンや公務員は、仕事の対価として給料を貰っているように見られがちであるが、実際にはそうではなくて、その身分に対して給料が支払われているものである。極論を言えば、仕事を全くしなくて遊んでいても即座に首にはならないし、給料も支払われるものである。特に公務員や大企業などは病気で休んでいても1年とか1年半ぐらいの期間は、給料が支給され続けるのである。よってそのように身分で金がもらえる人種は、収入に対するコスト意識が低いので、パチンコで金を失うことの抵抗感、嫌悪感も相対的にではあるが経営者タイプに比べて少ないということは言えるのではなかろうか。日本は比率的にみれば、経営者よりもその他のサラリーマンや公務員の方が圧倒的に多いであろうから、国民全体がパチンコ依存症の汚染にさらされているということの要因になっていると考えられる。次に所得区分とパチンコ依存症との因果関係についてであるが、一般的に金をたくさん持っている人間の方がパチンコをする傾向が高いと見られるであろうがそれも間違いである。これも例外はあるであろうが、概して言えば金を多く持っている人間の方が貧困者よりも持ち金が減ることの抵抗感や拒否感が強いものである。具体的に数字を例示して考えれば、銀行の預金額が1000万円の人間と50万円の人間を比べれば、どちらがパチンコに引き寄せられやすいかと言えば、50万円の階層なのである。1000万円持っている人間の方が実は1万円をどぶに捨てるようにギャンブルで消失させることの抵抗感が、50万円しか持っていない人間よりもはるかに強いと思われる。その心理要因は貯蓄額50万円の貧困層は、1万円なりの金を元手にして5万円や10万円に増やしてやろうという「夢」を見るからである。この夢というキーワードがギャンブルにおいては非常に重要なのである。宝くじのCMなどでも盛んに夢の言葉が繰り返されるでしょ。それに比べて1000万円の貯蓄がある富裕層というよりも日本では中間層であるが、貧困層に比べてより堅実というか、1万円の金があっという間に消えていくことの恐怖感の方が夢よりもはるかに強いのである。だからある程度の金を持っている階層の人間ほど、まとまった資金が必要な株や土地などの投機は話しは別であるが、パチンコのようなギャンブルで持ち金を減らすことは少ない。貯蓄額の問題ではなく、月々の収入が多い階層の人間はパチンコに抵抗感が少ないということは言えるかも知れない。しかし今のパチンコは1回行けば簡単に2~3万円の金はすってしまうであろう。よって週に1~2回の頻度でパチンコをする人は、月に10万円以上負ける可能性が高い。よってその程度の損失に対してどの程度の安定した収入があれば生活に支障がないかと言えば、生活にどうしても必要な住居費や教育費、光熱費などを除いた可処分所得で30万円ぐらいあれば、その3分の1の10万円ぐらいは毎月パチンコ屋に献上しても笑ってすませられるであろう。しかし30万円の可処分所得ということになれば、月々最低でも90万円ぐらいの固定収入は必要だと思われる。それだけの固定収入がある階層は全世帯の何パーセントに相当するのかわからないが、恐らくは数パーセント程度だと推測されるが、そのような高収入の人間がパチンコをする割合よりも、やはり貯蓄額と同様に低収入の階層の人間の方が圧倒的に高いと想像されるものである。これらを総じて概観すればパチンコとは相対的に貧困者層がするギャンブルなのだ。貧困者層が搾取されるギャンブルであるとも言える。生活保護受給者がパチンコをするようなケースも少なくはないであろう。ある程度の貯蓄と収入がある人間やコスト意識が身に付いている人間はパチンコを倦厭するものであるが、低収入、低貯蓄でコスト意識も薄い人間が僅かな元手で持ち金を増やす夢を見て、生活の中にパチンコが深く習慣化され、挙句の果てには依存症にまでなっていくパターンが多いものである。依存症の問題だけでなく社会的な格差も拡大、強化される要因になっている。これらは明らかに深刻な社会問題のはずであるが、ここまで放置されてきたことは在日やマスコミ、警察利権にあまりにも深く食い込み過ぎてしまっていて、20兆円産業にまでなってしまうと、もうこれは日本と言う身体の重要な臓器の一部のようなものでそう簡単に摘出したり、排除できるようなものではないのである。しかし我々日本人の一人一人がパチンコを拒否することはできるものである。いかに政治や警察が強権を発動させてもパチンコをしたくないと言っている人間にまでパチンコをさせることは不可能なのだ。そういう意味では我々の社会には自由があるということはできる。だから我々日本人は自分だけでなく、夫や妻、親や兄弟などの身近な家族にパチンコをさせないということから日本の健全化を図っていく必要性がある。