龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

お笑いに叩きは必要か

芸人にまつわることで、これまでに聞いて大いに感心した話しがある。それは漫才コンビ大木こだま・ひびきのつっこみ役のひびきさんが単独でTVの対談番組に出ていて、それまでの半生を語っていたのであるが、その中で相方の「往生しまっせ」のこだまさんについて触れた部分があった。ある時にひびきさんが何かの拍子に軽くぽんとこだまさんの身体を叩いたところ、こだまさんはえらい勢いで怒りだしたということである。曰く、「叩き漫才」は嫌いなのだそうだ。どうしても叩き漫才が必要だと考えるのであれば、漫才をやめるというようなことまで言ったということである。こだまさんが何で相方の何気ない叩きにそこまで過敏に反応し、叩き漫才を嫌うのかという深い理由まではわからなかったが、こだまさんは見かけによらず(といえば失礼だが)、しっかりしたポリシーを持って漫才に取り組んでいるのだとわかって感心したのである。さすがに美人な嫁さんをもらうだけのことはある。漫才師がそこまで叩きを嫌うということは、ある意味で新鮮な意外性が感じられるものであるが、確かに漫才中に相方の頭を派手にぱしんと叩く芸風というものは、個人的には見ていていい気がしないものである。何でそこで叩かなければならないのかという必要性とか必然性が観客の立場で見て疑問に感じてしまって個人的には笑えない。芸人の立場で見れば、全体の流れの中でのメリハリやアクセントとして叩きを効果的に使っているつもりかも知れないが、視聴者の気分で言えば、叩きの笑いというものは本当に面白いから笑っているのではなくて、芸人が身体を張って痛い目をして笑いを取りにきているから仕方なしにという感じで出てくる性質の笑いである。言ってみれば物乞いのような笑いである。厳しい言い方かも知れないが、漫才師はあくまでも話術で勝負すべきであって、その技量が足りないから叩きに走ってしまうことになるのではないのか。叩きには芸風もお笑いのクオリティーも何もない。だからこだまさんのように叩きをそこまで毅然とした態度で忌み嫌い、拒否する漫才師は私に言わせれば偉いのである。因みに私はボクシングなどの格闘技は見るのが好きである。ボクシングの試合中に相手を挑発するふざけたパフォーマンスを見せられることがあるが、あれも見ていていい気がしないものである。元世界チャンピオンの辰吉がよくやっていたが、そんな余裕があるのであれば、一発でも余計にパンチを出せよと言いたくなるのである。あれは挑発行為ではなくて、そういうことをしながら休んでいるのである。いわばするい休み方だ。裏返しにはなるが漫才の叩きに感じる不快感もそれと似ているのではなかろうか。相方を叩くのではなくて、話芸の力で観客の心をノックアウトして欲しいものだ。
それから漫才中だけではなくて、バラエティーなどの番組進行中に共演者の頭を叩いたり、足を蹴ったりすることを平気でする芸人がいるが、あれも非常に見苦しいものである。本人はちょっとしたコミュニケーションのつもりかも知れないが、少なくともそういう馴れ合いというかじゃれ合いはTVで見せるものではない。TVに映らない楽屋でやっていればよいことだと私は思う。どうでもいいけど暴言にしても女性問題にしても、同じ話題ばかりにかかずらっていれば、日本は本当に往生しまっせ。