柳沢厚労相、「産む機械」発言について
政治家は言葉を使って闘うことを生業とする職業である。よって言葉の使い方が不特定多数の人々に違和
感や不快感を与えるものであれば、時に糾弾を受けたり政治家としての資質を問われることは当然であ
る。しかし基本的には国民が判断すべきものである。女性を「産む機械」だと柳沢厚生労働相が失言した
ことに対する騒動と大多数の国民感覚には大きなずれがあるのではないのか。
ほとんどの国民の日常感覚は、何よりも安全と安定した生活を望んでいるのである。私は柳沢厚労相をか
ばうつもりはないが、国会運営に支障をきたしてまで争わなければいけない問題なのか。政治家たちが今
この瞬間に、何を問題とし、何を議論し何を解決していかなければならないか、そういうことのプライオ
リティの選択が全て我々国民の生活に直結しているのである。そして政治家が費消する時間には多大なる
コストが掛かっているのであり、それらの源泉は当然税金である。今日の日本の現状を考えれば、もっと
時間に対するコスト意識に敏感になってもらいたいものだ。だからこそ柳沢厚労相はとっとと辞任しろと
いう理屈になるのかも知れないが、彼は少子化問題における喩えとして言ったのである。適切な喩えでは
ありませんでした、と謝罪しているのだからそれで済む話ではないのか。それを普段そのように思ってい
るから、そのような発言になるのだなどと決め付けるのは乱暴すぎるのではないのか。もっと大人になっ
てもらいたいものである。そのような光景が子供たちの世界でいじめの現実となって転写されるのがわか
らないのだろうか。今回の件だけではなく失言や言葉尻を捉えて集団が個人をとことん追い詰めてゆく場
面を見るのは本当に不愉快だ。マスコミも良識をもって自重し、煽り立てるようなことは控えていただき
たいものである。何よりも腹立たしいのは、このような話題であれば多数の国民は糾弾に対する賛同の意
を喜んで示してくれるであろう、マスコミにとっては視聴率が取れるであろうというようないやらしい心
根が透けて見えてくることである。馬鹿にするのもいい加減にしろ、幼稚なのはおまえたちの方ではない
か。